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おはようございます。
今、7/7投開標日の東京都知事選が大変熱いですね。何と、56人もの人が立候補したとか?
でも、多く人が政治に関心を持ったのか?と思いましたが、そうではなく、パフォーマンス?お金?としか思えないような候補者もいて、「?」と思ってしまいました。
今朝は、そんな今の日本の政治に対して、一人の女子高校生のスピーチが大変注目を集めていますので、ご紹介したいと思います。
それは、2022年に日本人として初めて、『国際子ども平和賞』を授賞した川崎レナさんのその受賞式でのスピーチです。川崎レナさんは14歳のときに、国際的NGOの日本支部を立ち上げたことがきっかけで、この賞を受賞しました。
過去のこの賞の受賞者の中には、後にノーベル平和賞を受賞するマララ・ユスフザイさんや、環境活動家グレタ・トゥンベリさんも名を連ねます。
『国際子ども平和賞受賞式』
『国際子ども平和賞受賞式』
2022年11月 オランダにて
私がこの活動を始めたきっかけは悔しさでした。
変わりそうにない日本、自分の生まれた国、日本に誇りを持てないことについて、とてつもない悔しさを感じました。
私たち日本の若者は政治離れの世代だといわれていますが、日本の若者は政治に興味がないのではなく、政治を信頼する理由、投票する理由が今はまだ見つからないことが多いのです。
差別発言、議会中の居眠りなどを繰り返す様子が日々放送されています。
このようなことをする政治家の皆さんばかりではないのは分かっています。市民の声を最初から聞いてくれないように見える日本の政治に、誰が協力しようとするのでしょうか。
放送されているような政治家の皆さんばかりだと日本は変わることはないでしょう。けれども、39歳の市長が居眠りする議員に向かい「恥を知れ!」と叫んだ時、日本はまだ変われる。
私はそう思うことができました。政治家として議会で寝ないのは普通のことのはずです。政党や思想関係なく、その普通を取り戻そうとしてくれている大人たちがいる限り、日本は私が誇れる国になれるはずです。
政治家の皆さん、私の発言は実現性がないでしょうか。理想的すぎるでしょうか。私たち若者は見るはずではなかった、つらい、悔しい日本の現実を見てきています。
それでも理想や希望をまだ持っています。政治家になる前に、かっこいい大人になってください。私たちに子どもらしく夢を持たせてください。
私たち日本の子どもは皆が理想とする、かっこいい日本になってくれるのをずっと待っています。
私たちはいつまで待てばいいでしょうか。
【国際子ども平和賞受賞式 2022年11月 オランダにて】
■スピーチ中の「恥を知れ!」と叫んだ当時39歳の市長こそ、今回の東京都知事選に立候補し大旋風を巻き起こしている、前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏のことです。
■「国際子ども平和賞」は、2005年にミハイル・ゴルバチョフを議長としてローマで開催された「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」において創設された賞です。
それ以降、ノーベル平和賞の受賞者が同賞の授与を担っているそうで、キッズライツ財団により子どもの権利のために奮闘する若いチェンジメーカーのプロジェクトに投資する取り組みも実施しているようです。
過去の受賞者の中には、その後、ノーベル平和賞受賞もしたマララ・ユスフザイさんやスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんの名前もあります。
■川崎レナ 2005年 大阪府箕面市生まれ 関西学院大阪インターナショナルスクール出身
川崎レナさんが『国際子ども平和賞』を取った活動のきっかけは8歳の時なんだとか。学校の図書館で出会った1冊の写真絵本『ランドセルは海を越えて』を見たことで社会活動に興味を持ったんだそうです。
日本の子どもたちが使い終えたランドセルや鉛筆、ノートなどの文房具を詰めます。世界で物資が最も不足しているアフガニスタンの子どもたちに届ける活動を紹介した絵本になっています。絵本はカメラマンである内堀タケシさんが10年以上アフガニスタンに通って取材をして作った本です。
川崎レナさんはランドセルを机の代わりにし、地面で教育を受けている子供たちを見て世界に教育が受けられずにいる子たちがいることを知ったそうです。
川崎レナさんは自分たちも出来ることがないかと文化祭でクラスのみんなで作った工作を寄付することで川崎レナさんの活動が始まりました。
川崎レナさんには尊敬している方がいます。『国際子ども平和賞』を過去に受賞したパキスタン出身のマララ・ユスフザイさんです。
イスラム過激派に襲撃されたことがありながら女性の教育の必要性を訴え続けている方。
「マララさんは15歳で銃撃を受けるという大変な経験をされたにもかかわらず、自分の国の子どもたちのために闘っている。あの年齢であの勇敢さがあったというのは、同じ若者としてすごいなと思います。
マララさんみたいにはなれないかもしれないけれど、私も、若者の声を届けるという、自分が一番大切にしているミッションを、どんどん日本で広げていきたい」