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 おはようございます。
大阪は大変気持ちの良い、爽やかな朝になりました。
梅雨入りしたそうですが、梅雨のイメージ「シトシト」というより、滝のような叩きつける雨が今週は2回も降りましたね。日本には、「雨の降り方」を表す言葉が約400種類もあるそうで、海外に比べて極めて多く、これも日本人の繊細さの表れだそうです。笑

 さて、先週ご案内させて頂きましたように、先日初めて、「日本人の心を取り戻す会」として講演をさせて頂きました。経営者の皆さんの会でしたが、終了後、「泣きそうだった」と何人かの参加者の方がおっしゃって下さり、大変やりがいを感じました。
 また、天皇のご存在の意味、中国やヨーロッパの国王と日本の天皇が根本的に違うこと、そして日本は、天皇の存在の歴史の上に、今の日本人の精神性が培われたこと等をお話させて頂きましたが、こういったことを伝えていくことが、私の使命なのだなと、改めて自分自身認識しました。
 今後、少しでも活動の幅を広げていけたらいいなと思っていますので、今後とも宜しくお願い致します。

 さあ、では今朝のやさしさ通心です。今朝も大変心温まるお話です。

『あの時の「ノート」』

 長男の私は、家への仕送りが必要だった。
中学2年の時には、すでに新聞専売所に下宿していた。給料を送金するときの、母の安堵(あんど)する顔を思い浮かべることが、私の幸せだった。
生活の全てに困窮していた。たった一つだけ満たされていたのは「紙」だった。

 新聞店には広告紙配達の依頼が絶え間なくある。
これがうれしかった。広告紙裏面に白いものがあれば店主に頼み、いつも50枚ほど分けてもらった。綴(と)じてノートの代用品とし、全部の学科が広告紙の裏だった。
 紙質も鉛筆の滑りも悪く、でも贅沢(ぜいたく)を言う事はなかった 。2年生の7月、定期試験が終わってすぐに、体育の先生から全員に「ノート」の提出を求められた。

 広告紙の裏をノート代わりにしている私は、思わず体が震えた。誰にも知られたくない貧しさの秘密だった。提出は恥のさらし者になる。何の名案もない。覚悟し職員室にそのノートを持参して、先生に一切の事情を打ち明けた。無言で聞いてくれた。

 悔しさと異常な羞恥心(しょうちしん)で涙したあの日。後日、ノートの返却があった。私の「ノート」は新品のバインダーに綴じられて、3冊の真新しいノートが入れてあった。
「整然としています」と採点記載があり、最後に「絶対に負けるな!」と力強い大きな文字が記されていた。その用紙は今も手元にある。
 3冊のノートはあまりにも貴重で使用できず、一緒に人生を歩んできた。大切な宝物となった。生涯忘れられぬ先生との出会いがあった。

白木 魏 (74歳)会社経営者 愛知県武豊町

【2019.5.11 産経新聞「朝晴れエッセー」】より