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おはようございます。
今週火曜日(3日)のお昼に京橋駅前を歩いていますと、「号外!」「号外!」と新聞を配っている人が何人かいて、「何やろ?」と思ってもらって見ますと、「長嶋さん逝く」と大きく書いてありました。

ミスター ジャイアンツ!

ミスター ジャイアンツ!
ミスター プロ野球!
と呼ばれた長嶋茂雄さん。

 私の少年時代は「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた時代で、特に、昭和40年~48年(7才~16才)は巨人が9連覇している時。

 テレビの野球中継と言えば巨人戦ばかり、その巨人の4番を打つ長嶋さんに影響を受けない訳がありませんでした。

 私が野球が好きになり、野球を始めたのもそんな時代だったからだと思いますが、今になってもっと大きな視点で考えてみると、長嶋さんは日本の戦後の復興の象徴、そして高度成長期の象徴の人だったんだなと思います。

そんなことを考えると、一つの時代が終わったんだなあと感慨深い思いがしました。

 そして、戦後80年、確かに経済は素晴らしい発展を遂げ、日本は先進国の一つになりましたが、人々の心は益々荒(すさ)み、治安はどんどん悪くなりますし、自殺者の数は全然減りません。

 また、心の病になる人々の数も増え続けています。これら全て根本の原因は、戦後の教育の問題だと思います。
神話を学ばない民族は100年以内に滅びると言われていますが、戦後GHQが神話教育を廃止し、代わりに自虐史観教育を取り入れて80年です。

 残り20年、まず今の政治家の一掃から始めましょう。ということで今朝は、戦後の高度成長期を支えた長嶋さんの、明るいキャラ、天然キャラが分かるエピソードをいくつかご紹介させて頂きます。

 入団当初、長嶋は新聞記者に「どこの学部を出たのか?」(立教大学)と聞かれ、「野球部に決まってるでしょ」と答えた。長嶋は「I live in Tokyo(東京)」を過去形で答えろと言われ、「I lave in Edo(江戸)」と答えた。

 長嶋は「車の鍵が無い」と言って周りの選手に探させたが、「オレは電車で来てた」と言った。
長嶋は契約金1800万円を、どこの銀行に貯金したか忘れた。長嶋はアメリカでマクドナルドを見て、「こっちにも進出しているんだ」と発言した。

 記者が長嶋に「最近どんな本を読んでいるのか?」と質問したら「ブックを読んでます」と答えた。後楽園球場に息子と野球観戦に行き、興奮しすぎて息子を球場に忘れて帰った。

 店にあったスーツを気に入り、「売ってくれないか?」と交渉したが、その店はクリーニング屋だった。「自分はなぜか※バースデーアーチを打ったことがない」と言ったが、長嶋の誕生日はシーズンオフ(2月)だった。
※バースデーアーチ=誕生日ホームラン

長嶋は飛行機で「ビーフorチキン?」と聞かれ、「アイムチキン」と答えてしまった。

【インターネット等】