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 さあ、6月も折り返しですが、急に真夏の暑さになりしたね。熱中症等くれぐれもお気を付け下さいね。さて、この度初めて「日本人の心を取り戻す会」での講演依頼を受けまして、本日、ある経営者様の会でお話させて頂きます。

 毎週土曜日に、経営者様が20~30人集まる会とのことですが、戦後GHQが行った自虐史観教育のことや、天皇制の意味、世界に類例のない日本人の精神性等のお話の他、今回の日の丸裁判のことも、それに至ったフジ住宅裁判、ブルーリボンバッチ裁判等の経緯も含めてお話しさせて頂きたいと思っています。また、ご報告させて頂きますので、よろしくお願い致します。

 さあ、今朝のやさしさ通心は、人気テレビ番組『アンビリバボー』でもドラマ化されたお話で、私も大好きなカレーチェーン店、CoCo壱番屋のお話です。

「1杯のカレーライス」

 若山陽一郎さんは23歳のときにダンサーを目指して岐阜県から上京しました。
お金がなく、友人宅で同居する生活を送っていたあるとき、岐阜の彼女が会いに来てくれました。所持金は400円しかありませんでしたが、CoCo壱番屋(ココイチ)のお店に入り、400円のパークカレーを注文しました。当然、店員さんから嫌な顔をされたり、周りのお客さんからも白い目で見られることを覚悟して入ったのです。

 2人で席を陣取って、トッピングもしないポークカレーを1皿頼んでるだけのお客に対して、アルバイトの店員の女の子は、めちゃめちゃ笑顔で接客してくれました。
 取り皿もスプーンも2つ持ってきてくれて、「温かいカレーを作ってまいりました。ゆっくり食べてってください。」貧乏時代、恋人と2人で食べた1杯のカレー、2人でカレーを1杯しか食べられなかったんです。でも、若山さんはこの接客に対して、大変感動して、アンケートハガキを書きました。店員の応対をほめた後、自分の極貧生活、ダンサーを目指していること、1杯のカレーライスを彼女とシェアしたこと、そして、自分の住所・氏名を記し、出したんだそうです。

 そうしたら、1ヶ月以上たった忘れた頃、CoCo壱から手紙が届いたのです。
最初、「誰やろう?」と思って読んでいくと、「若山様、お手紙をいただきありがとうございます」と、ココイチから僕に対する返信だったんですね。「お手紙を見せていただき、大変心が温かくなり、僕も昔、苦労していた時代のことを思い出しました」。

 差し出し人は誰か言うと、当時すでに800店舗を超える日本最大級のカレーのフランチャイズ・チェーン、ココイチの社長、宗次徳二さんからの手紙だったのです。
「僕も昔、親がいなくて、孤児として育ってすごく苦労してきました。

 でも、そのお陰でいろいろなことに気づけて、その後、妻と始めた喫茶店で出したカレーが喜ばれて、お客さんに背中を押されてカレー屋をオープンしました。
 そのカレー屋を一生懸命やってきた結果、若山様と出会うことになりました。
 ですから、よく分かります。夢を諦めないでください」。と、社長の宗次徳二氏直筆で書かれてあり、3,000円分の食事券が同封されていたのだそうです。若山さんは感激で胸が一杯になったとのことです。さらに、まだ、話に続きがあります。

 そして、その8年後、不用品回収業者として起業し、成功を収めた後、ある経営者にこのココイチでの出来事を明かすと、その経営者は険しい顔になり、「君は大事なことを忘れているよ。なぜ君は、宗次さんにお礼を言わない!」と叱られ、早速、宗次さんと連絡を取って下さり、若山さんはお礼に伺ったそうです。

 すると宗次氏は、「ダンサーの君だね。覚えているよ。」と対応してくれ、「もっと広い世界を見て器を広げるといいよ。そして社会に貢献しなさい。そうすれば、いつか君の人生は本になるよ。」と励ましてくれたというのです。この出来事は、後に、本当に自伝として出版され、また、『奇跡体験! アンビリバボー』というメジャーなテレビ番組でも取り上げられ、大変な話題となったとのことです。

【奇跡体験! アンビリバボー】より

▽昨日のお昼は真夏のような日差しと暑さでしたが、私もCoCo壱番屋で牛すじカレーを頂いて来ました。(拝)美味しかったです。(笑)

ウキペディアから


以下は、ウキペディアからです。

▽若山洋一郎

株式会社和愛グループ代表取締役。みんなのちきゅう株式会社代表取締役。
岐阜県生まれ。TRFのバックダンサーに抜擢され上京。後に帰郷し不用品回収業で起業。

若さと元気を売りに、愛知県で口コミ満足度、スタッフ対応満足度、価格満足度でNo.1を獲得。その後、世界一周一人旅で21カ国37地域を周り、子供たちの笑顔に惹かれたカンボジアでは学校建設をする。
その後、次世代のリサイクルショップ「リ・スクエア バナル」をオープン。業界に新風を吹かせメディアの取材殺到。
2020年11月に自伝「ラッキーマン―何者でもない僕が、何者かになる物語」を出版。
Amazonランキングでは1位を獲得し、台湾翻訳版も出版。現在は環境活動にも尽力しながら、若者たちへ夢と希望を届けるために全国を飛び回る。

講演は年間100回を超える。

▽宗次徳二

両親は不明。戸籍上は1948年(昭和23年)石川県生まれとされる。
生後まもなく兵庫県尼崎市の孤児院に預けられ、3歳のときに雑貨商・宗次福松、清子夫婦の養子となる。

養父が競輪やパチンコなどのギャンブル好きで生活が不安定だったことから、養父に愛想を尽かした養母は失踪。

8歳のときに居場所が判明した養母を頼り、養母が住む名古屋市の四畳半のアパートに家族3人で住むが、すぐに養母は家を出た。

養父と2人で、電気や水道を引くこともできず、ろうそくで明かりを得、雑草を抜いて食べるほど困窮した生活を送る。

15歳まで生活保護を受けて生活し、岡山県玉野市など各地の廃屋を転々として、パチンコ店で零れ玉(こぼれだま)やシケモク(煙草の吸殻)を集めるなどして生計を助けていた。吸殻を拾わなかったり、掃除を怠ったりすると、養父から全裸にされ箒で殴られるなどの虐待を受けた。

15歳のときに養父が胃癌のため死去し、養母と同居するようになる。朝5時半の始発電車に乗り、登校前に同級生の父が経営する豆腐屋でアルバイトしながら学費、生活費などを稼ぎ、1967年(昭和42年)3月に愛知県立小牧高等学校商業科を卒業。

翌4月に新聞広告を出していた不動産業の八洲開発に応募し、入社する。1970年(昭和45年)2月に大和ハウス工業名古屋支店に転職後、同僚の直美(のちに株式会社壱番屋社長・会長・相談役、NPO法人イエロー・エンジェル理事を歴任、世界優秀女性起業家賞受賞)と結婚。

結婚2年後に独立し、1973年(昭和48年)に自宅1階に不動産仲介会社の岩倉沿線土地を開業した。不動産業の収入が不安定だったことから、妻と相談し、1974年(昭和49年)にCoCo壱番屋の前身となる喫茶店『バッカス』を名古屋市西区内に開業した。

オープン初日に手伝いに入った際、開店10分もしないうちに人が集まり、不動産とは違う世界に面白みを感じ、喫茶店が天職であると感銘を受け、不動産業からの撤退を決意。

1975年(昭和50年)2号店となる珈琲専門店「浮野亭」を開業。

妻・直美が作ったカレーが人気を呼び、カレー専門店への転身を決断。1978年(昭和53年)に『カレーハウスCoCo壱番屋』を創業、愛知県西春日井郡西枇杷島町(現・清須市)に1号店を出店する。

10ヶ月後に2店の喫茶店を処分。自転車操業が続いたが、新店舗開業などのため尾西信用金庫から借り入れた100万円のうち、20万円は社会福祉協議会や町役場に匿名で寄付した。

1982年(昭和57年)には既に売上が3億円を超えており、法人組織の株式会社壱番屋を設立し代表取締役社長に就任、1998年(平成10年)には500店出店を機に妻・直美と社長を交代し、自身は代表取締役会長となった(社長・会長職の後任は、それぞれ妻直美が務めた)。

2002年(平成14年)には後継者が育ったことを理由に代表権のない創業者特別顧問に退き、19歳のときにアルバイトとして入社した浜島俊哉副社長を社長に就かせた。妻は代表権のない会長に就任。自身は役員からも退任し、経営から引退した。

社交的な妻とは対照的に、引退するまで友人を1人も作らず、3?4時間の睡眠時間で、仕事に専念したという。毎朝4時45分に出社し、1000通以上の「お客様アンケート」を読み、店舗の掃除を行なうのが日課で、休みは年間15日ほどだったが、引退後は経営に一切口出しせず後継者に任せている。

経営の一線を退いてからは、2003年(平成15年)に音楽やスポーツの振興、福祉施設やホームレスへの支援などのためNPO法人イエロー・エンジェルを設立し理事長に就任。

高校1年の時に、NHK教育テレビジョン『N響アワー』でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聞いて以来、クラシック音楽好きであり、2007年(平成19年)にはクラシック音楽の普及を目的として、28億円の私財を擲って宗次ホールを建設、2012年(平成24年)1月に名古屋市芸術奨励賞を受賞した。

宗次エンジェルヴァイオリンコンクール上位入賞者や、五嶋龍や葉加瀬太郎へのストラディバリウスの貸与、宮本笑里へのドメニコ・モンタニャーナの貸与なども行う。

経済的理由で進学できない音楽家志望の児童の支援や、小中学校への吹奏楽器寄付も行っている。

毎朝4時に起き、ホール周辺を掃除し、花を植え、昼はスタッフ15人分のまかないを作り、公演前には入場口で客を出迎え、一緒にクラシック音楽を堪能するのが日課である。

2012年(平成24年)4月には経営コンサルティングや講演会等を行う株式会社ライトアップを設立し、代表取締役に就任。

2015年10月、ハウス食品グループ本社が12月1日までに壱番屋の51%の株式を保有し、壱番屋を子会社化することを発表。壱番屋の株券を23.17%保有している宗次夫妻は、保有する株すべてをハウス食品に売り渡す見込みで、譲渡益は220億円といわれる。