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おはようございます。
さあ、いよいよ今年も年末12月ですね。そして、このやさしさ通心のスタートが2009年の12月5日(土)でしたからちょうど丸15年、16年目に入りました。
これだけ長く続けて来られましたのも、お付き合い下さる皆様がいらっしゃればこそで、感謝しかありません。本当に有り難うございます。
これからも出来るだけ長く続けていきたいと思っておりますので、どうぞ、末永くよろしくお願い致します。
さて、今年もやさしさ通心の小冊子が出来上がりましたので、これまでお送りさせて頂きました皆様には、来週から順次発送させて頂きます。日頃の御礼に、今年も無料で2冊ずつお送りさせて頂きます。一冊はご自身用に、もう一冊は、どなたか大切な方に差し上げて下さいね。
また、これまでもらってない方で、「欲しい」「読んでみたい」という方には、無料でお送りさせて頂きます。このメールの一番下の[メールでお問い合わせ]、もしくは、[メールアドレス]から、①郵便番号②ご住所③お名前をお知らせください。どうぞよろしくお願い致します。
さあ、11月からシリーズでお送りしています『天皇とは何か?』、今回で最後となりますが、日本人としてぜひ知って頂きたいことですので、よろしくお願い致します。
⑥『天皇とは何か?』
今朝は、戦後生まれの私たちがほとんど知らされていない「昭和天皇の戦後巡幸」のお話です。
まず、「戦後巡幸」とは何か?ですが、
戦後巡幸(せんごじゅんこう)とは、大東亜戦争敗戦後の混乱期と復興期に当たる昭和21年から昭和29年までの間に、昭和天皇が全国各地を巡った(巡幸)ことを言います。
これは、昭和天皇ご自身の発案によるもので、1946年(昭和21年)2月から1954年(昭和29年)8月まで8年半をかけて全国各地(米国統治下の沖縄を除く、全46都道府県)を※行幸しました。
※ 行幸(ぎょうこう、みゆき)とは、天皇が居所から外出することで、目的地が複数ある場合は特に巡幸という。
当初は日帰り又は短い旅程であったが、次第に10日~数週間に及ぶ長い旅程のものに変化した。
行幸は天皇単独で行われることが多く、香淳皇后が同伴したのは1947年(昭和22年)の栃木県行幸、1954年(昭和29年)の北海道行幸の際の2回のみである。
長期間に及ぶ場合には適宜、休養日が設定されたが、1947年(昭和22年)の東北行幸の例では、前日に行幸先に加えた病院を慰問に訪れたり、地域の農家から農林業に関する知識について奏上を受けるなど休養とは名ばかりの状態となっていた。
行幸先各地では、学校・公営グラウンド・駅前など大勢が集える広場や特産品天覧会場が準備された。宿泊先も、各地の公的機関や旧家の邸宅のみならず、保養地の温泉旅館・ホテル等も選ばれている。以上はウキペディアを参考に書かせて頂きました。
そして、この巡幸に対して欧米の新聞記者たちは驚きを隠せずにいました。それは、天皇と日本の一般人の距離があまりにも近いことです。日本人の私たちからすると、何気ない昭和天皇と国民の交流のように映るかもしれません。
しかし、欧米の記者から見れば、天皇は陸海軍の大元帥だった訳で、大衆の前を歩くにもかかわらず、あまりにも無防備だったことです。
当時は、大東亜戦争の敗北が決まった直後。多くの人が夫や息子を亡くし、悲嘆にくれる日々を送り、明日食べるものや、着るものを探すことで精一杯の時代でした。
そんな中、敗戦に “導いた” と言われる昭和天皇が現れれば、彼らの怒りの矛先が陛下に向くことも十分に考えられます。
ですから、このような状況から、記者たちは「昭和天皇が襲われるのではないか」と肝を冷やしたようです。しかし、各地では、昭和天皇を見て、膝から崩れ落ち、涙する者がいたり、万歳三唱が自然と湧き起こったり…
「本当に戦争に負けた国なのか?」と思わせるほどの大熱狂でした。
では、なぜ昭和天皇は、無防備の状態で国民の前を歩けたのでしょうか?
そして、なぜ国民は、喜びの涙を流したのでしょうか?
ちなみに、日本と同じく惨敗を喫したドイツのヒトラーには、「総統警備隊」という専門の警備隊が存在しました。
現代に目を向けると、2年前に行われた日米首脳会談の際、約18,000人が警備にあたったようです。同じ敗戦国の道を辿ったドイツや、現代のアメリカの国賓に対する事例と比べると、昭和天皇に対する警備が、常識から外れていることがわかります。
これはやはり、前回まで5回続けてご紹介させて頂きましたように、天皇は他国の王や皇帝とは全く違い、私たち国民を支配する存在ではなく、逆に自らの自由もなく、財産も権力もない中で、ただひたすら、私たち国民の幸せと世界の平和を「国平らかに、民安かれ」 と祈って下さる存在であることを、日本国民の誰もが知っていたからなのです。
国連や諸外国の人々に、「人権だ!」とか「男女平等だ!」とか言われても、堂々と、「天皇とは何か知っているのか!」と、言い返したいものです。
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