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おはようございます。
さあ、いよいよ今年も押し詰まって来ましたね。
そんな時になんですが、私が起こしている「日の丸バッチ剥奪裁判」の件で、突然、来週の水曜日(25日)に判決を言い渡すと大阪高等裁判所から連絡が有りました。
(場所は、本館202号法廷です)
「こんな年末、しかもクリスマスに、これは、裁判所の嫌がらせやなあ」と、当方の関係者が言っておりました。
また、以下は最近の新聞記事からですが、
『娘に性的暴行、父親無罪主張「父親は事実を認めた上で逆らえない状態ではなかった」と主張』
『K-Pop公演費込み、奈良県の予算案が可決』
ちょっと、これはとんでもないと思いませんでしょうか?
先日、やさしさ通心の小冊子をお送りしたある方から、
「今、日本の歯車が狂いに狂ってる!日本人の心、文化を取り戻したい」
とメールを頂戴しましたが、全くこの方のおっしゃる通りだと思いました。
こんな現実に、とことん逆らって、「やさしさ通心」の活動を広げていきたいと思います。
どうぞ、今後とも宜しくお願い致します。さあ、では今朝のやさしさ通心です。
『愛に満ちた一言「おかげさま」の気持ちを育てたい』
やまとしぐさ伝承学師範 辻中 公
昔、日本では右手は「自分」を表す手、左手は「自分ではない誰か」、つまり「神様」を意味する手とされていました。
ですから、何かをする際には右手を使い、そこに左手を添えることを作法としてきました。
そのことで、「自分の行動でありながら、自分以外の力添えに支えられる」という意味になるのです。この「左手を添えることの大切さ」というのは、茶道や華道など、日本で「道」という字がつくものの中に多くあります。
着物を着られる方はお分かりだと思いますが、左側を上に重ね、帯揚げや帯締めも左に柄を持ってきます。つまり日本には「左側に上質なもの、尊敬するものを置くという文化」があるということなんです。この文化は「おかげさまの気持ち」を育てます。
「自分だけの成果じゃない」「おかげさまの気持ちが大切」という教えを伝える日本文化を私たちは伝え、残していきたいと思っています。
私の友人Aさんの話です。
Aさんには妹がいて、その妹さんには息子B君がいました。
大学進学を決めたB君は、大学の近くに下宿しました。信号が青に変わったのを見て、B君は横断歩道を渡り始めました。そこに大きなトラックが突っ込んできました。
Aさんに妹さんから事故の連絡が届きました。
妹さんから、「うちの子が事故に遭った。意識が無いみたいなの」「顔の右半分が潰れていて、意識が戻らないかもしれない。どうしよう」Aさんは妹さんの話を聞きながらいろんなことを考えました。
「甥の人生はこれからのに・・・」「下宿なんてさせていなければ・・・」
さらに加害者への怒りも込み上げてきました。
「そもそも、なんでトラックは赤信なのに突っ込んで来たんだ」
B君は幸運にも一命を取り留め、数日後Aさんと妹さんが見舞いに来ていた病室に、加害者が警察官に連れられてやって来ました。
その加害者の態度が横柄に思えたAさんは、怒りを抑えられなくなり、思わず「殴りかかろうか」くらいの気持ちになりました。
その時、Aさんの妹さんが言いました。
「息子の命を助けて下さってありがとうございました」
「事故を起こして、あなたも辛かったでしょう。でも、すぐに救急車を呼んでくれたおかげで、息子は一命を取り止めることができました」
その瞬間、それまでふんぞり返っていた加害者が床に崩れ落ち、声を上げて泣き始めました。
そして、何度も何度も「申し訳ありませんでした」と謝ったそうです。
するとB君も言いました。
「この事故は自分にとって必要な経験だったと思う。いただいたこの命を、これからも大切に使っていきます」
Aさんの妹さんの「ありがとうございました」の一言が、その場の雰囲気を一変させたのです。
Aさんの妹さんの「ありがとうございました」の言葉は、本当にB君の命が助かったことの喜びから出たのだと思いました。
そして、それを聞いたB君も、「僕は必要とされている」と感じて、そう言ったのだと思います。
このエピソードは、「たった一言が人生を変える」ということを教えてくれていると思いました。
もし私たちが同じ状況に出会ったら、どんな言葉を掛けることができるでしょう?
とっさに、愛に満ちた言葉を紡ぐことができるでしょうか。
【日本講演新聞2017年3月6日号より】