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おはようございます。
松の内も過ぎ、穏やかな土曜日の朝ですが、31年前の今日は、あの忌まわしい阪神淡路大震災が起こった日です。いまだに行方不明の方もいらっしゃり、改めて亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。(松の内=関西では1/15までですが、関東では1/7までだそうです)
今朝は、この阪神淡路大震災をきっかけに誕生し、今も世界の人々を救っている「白い粉」のお話です。やはり、日本人は凄いなあ、素晴らしいなあと感動しました。
『貧しいバングラディシュを救った日本人』
バングラデシュの住民が懇願の声を挙げました。
日本の企業が作り出した白い粉が、彼らの生活を一変させたのです。
「公園の水が飲めたら?」
1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が神戸を襲いました。
小田兼利(おだ かねとし)さん当時54歳。
神戸市の実家で被災した小田さんは、水を求めて給水車の長蛇の列に並びました。
何時間も待ち続ける中、ふと目に入った公園の池。
「この池の水が飲めたらなぁ?」
災害時だけでなく世界中には、安全な水を飲めない人が8億人もいる。
この問題を解決できれば、どれだけの命が救われるだろうか?
震災の瓦礫の中で、小田さんの挑戦が始まりました。
「池の水を浄化する」
言葉にすれば簡単ですが、実現は困難を極めました。
3年間、来る日も来る日も実験を繰り返す中で、織田さんはある日本の伝統食品に着目しました。
納豆です。
納豆のネバネバ成分ポリグルタミン酸には、汚れを吸着する力がある。
この発見から、ついに画期的な水質浄化剤、「PGa21Ca」の開発に成功しました。
わずか1グラムで10リットル、20キロで200トンもの汚水を飲み水に変える魔法の粉でした。
2002年、日本ポリグル株式会社を設立。
しかし、日本の自治体も企業も、誰も相手にしてくれません。
さらに、社員による横領事件が発覚。
小田さんは自殺を考えるほど追い込まれました。
転機は2004年のスマトラ沖地震でした。
小田さんは魔法の粉を持って現地に飛びました。
茶色く濁った水に、PGa21Caを入れてかき混ぜる。
すると、みるみるうちに汚れが固まり始め沈殿、上澄みは透明な水に変わりました。
そして小田さんは、その水を飲んで見せたのです。
「本当に飲めるんだ!」現地の人は歓喜しました。
小田さんは決意しました。
「商売なんてどうでもいい。この人たちに安全な水を届けたい」1グラム1円。
ほとんど利益が出ない価格設定にしました。現地の月収3000円の人々でも買える値段です。
しかし、新たな問題が発生しました。
いくら安くても、水にお金を払う習慣がない人々には理解されません。
そこで、小田さんが考えたのが現地の女性による実演販売でした。
「ポリグルレディ」そう名付けられた女性販売員たちが、村から村へと回ります。
そして、目の前で汚水を浄化し実際に飲んで見せるその中の一人、ニルファ・ヤスミンさん。
いつか、お医者さんになりたい。幼い頃の夢は、貧困のために諦めざるをえませんでした。
しかし、ポリグルレディとして働き始めて、ニルファさんの人生は一変します。
月5000円の収入を得て、子供たちを学校に通わせることが、できるようになったのです。
「私は水のお医者さんになれた!」
2013年9月26日の国連総会。
安倍晋三首相は、世界に向けてこう語りました。
「バングラディシュのポリグルレディー、ニルファさんを紹介します。
日本の技術で水のお医者さんとなり、多くの命を救っています。
これこそ、女性が輝く社会の実現に向けた、世界に誇る日本の技術です」
会場は拍手に包まれました。
現在、日本ポリグルの技術は、80カ国後以上で使われ、550万人以上に安全な水を提供しています。水問題と女性の自立、2つの社会問題を同時に解決する日本の技術、それは阪神淡路大震災の瓦礫の中から生まれた一つの思い、それが今、世界中で命を救い続けています。
【YouTube、インターネット記事等】より
小田兼利1941年熊本県生まれ。
大阪大学基礎工学部卒業。
カリフォルニア工科大学にて工学博士号を取得。
大阪金属工業(現:ダイキン)入社。独立し個人事務所を設立。
符号式のオートドアロックや光電マーク、電子油圧サーボ、航空機用デジタル角度計、マイラー自動巻取装置など世界的に普及する発明の他、納豆のネバネバの成分であるポリグルタミン酸を使った水質浄化剤を発明し、2002年、日本ポリグルを創業。
現在、同社代表取締役会長として深刻な水問題解決のため世界中を駆けまわる。
NPO法人国際ボランティア学生協会の特別顧問も務め、学生と共に現場へ出て海岸清掃などの環境保全活動にも力を入れる。
