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おはようございます。
さあ、明日は投票日ですね。私はもう期日前投票に行って来ましたが、今回の選挙ほど楽しみな選挙はありません。みんなで選挙へ行きましょうね。
さて、今朝のやさしさ通心は、明治維新間もない日本人が、初めての国際裁判を通して、先進国際社会を納得させ、世界に日本人の正義感を示した、明治5年(1872年)に起こったお話です。
同時期に起こった「生麦事件」はよく知られていますが、この事件は戦後GHQの日本人弱体化計画の中で、※焚書等で消された事件でもありました。
※焚書(ふんしょ)=書物を焼き捨てること
『マリア・ルス号事件』
明治5年と言えば馬車道にガス灯が灯り、新橋・横浜間に日本初の鉄道が開通した年。
開港したばかりの横浜はますます華やぎを増していた。
7月9日、暴風雨に遭遇して修理が必要になったペルー船、マリア・ルス号が横浜港に入港。
数日後、この船から清国人が数人、海に飛び込み、近くにいた英国船に救助された。
彼らの話から、マリア・ルス号は奴隷船であることが判明する。船長のヘレイロは「ペルーで数年働けば大金を持って国に帰れる」と甘言を弄し、マカオで貧しい清国人労働者を集めた。
それを信じて200人を超す男たちが乗船したが、彼らを待っていたのは船底の鎖と、ろくに水も食べ物も与えられないという劣悪な待遇だった。奴隷解放を伴う米国の南北戦争直後とあって、人身売買は国際的に非難されていた。
清国人を救出しなければならない。外国人居留地には清国人のコミュニティであるチャイナタウンもすでに形成されていた。しかし彼らの母国である清は英国との阿片戦争などもあり、弱体化している。同胞とはいえ、助けになるような力はない。
一方、欧米列強国は、日本の港で発覚した事件なのだから日本が解決すべきだ、と意地の悪い目線で高みの見物を決め込んでいる。
開国したとはいえ、先進国から見れば、日本はまだまだ国際社会を知らない後進国。
ペルーと争うなら国際裁判ということになるが、前年の明治4年にようやく司法省というものができたばかり。近代裁判の経験が、国内でさえほとんどない。
おまけに伊藤博文をはじめとする政府首脳が、大挙して二年越しの海外視察に出かけている。
面倒だから関与せずに放っておけ、という空気が日本政府内に流れていた。
しかし外務卿の副島種臣は、こんな時だからこそ日本は逃げるべきではないと主張。
25歳の神奈川県参事だった大江卓をその役目に抜擢した。まだ若いが、大江は人権問題にも見識が深い。これを受けて神奈川県権令(副知事)に就任している。
ややこしいことにこの裁判における大江の役割は、裁判官、検察官、弁護士を兼ねるような役目……といえば、それだけの権力を持てば勝てるでしょう、と思われるだろうが、そうではない。
それぞれの専門家がまだいなかっただけのことで、内容は国際社会が納得する近代裁判でなければならないのだから。
大江はまず「清国人一人一人に聞き取りをしたいので、全員をいったん陸にあげてほしい」とヘレイロ船長に申し入れる。どうせ自分が勝つ、と舐め切っているヘレイロは、どうぞどうぞと応じた。
清国人たちはすぐに船から寺へ移され、鎖を解かれ、丁重な世話を受ける。
日本に上陸したからには、もはや日本の保護下。ヘレイロの意志で船に戻すことはできない。
自分の失敗に気づいたヘレイロは急いで手を打った。
やり手で日本語も堪能な英国人代言人(弁護士)フレデリック・ディケンズを雇う。
ディケンズが法廷に持ち出したのは、遊郭に売られた※娼妓の証文だった。
※娼妓(しょうぎ)=遊女のこと
これはれっきとした人身売買ではないか。
こんなことをしている日本が他国を人身売買で責められるのか、というわけだ。
身売り代金は親などが受け取り、その金は借金というかたちで娼妓の身を縛る。万事窮すかと思われたが、大江は間髪を入れず県下に娼妓解放令を出した。借金はすべて棒引き。娼妓は自由の身。
実に乱暴なやり方ではあるが、その勇気と決断力には驚嘆せざるを得ない。
こうした丁々発止を演じる一方で、大江は必死に万国法を学んでいた。
国際社会が納得する裁判にして、なおかつ勝たねば諸外国と肩を並べることはできない。
ロシア皇帝まで関与するほどの国際裁判になったが、結果を言うと日本は裁判に勝利し、清国人たちは全員解放された。
息を呑んで見守っていたチャイナタウンの華僑たちは歓喜し、感謝のしるしとして大旆たいはい(大きな旗)を大江と副島種臣に贈った。横浜中華街はその後の歴史においても、日清戦争、日中戦争と、辛い歴史を生き抜いた。
私たちはこうした歴史を大切に記憶し、世界に誇る中華街を擁する横浜市民として、どんな時も友好を護っていきたいと願わずにはいられない。
【横浜市ホームページより】
▽戦後焚書された「明治大衆史」(菊池寛 著 ダイレクト出版 再出版)も、参考にさせて頂きました。