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 おはようございます。
最初に、先月15日の“やさしさ通心No.779”でご紹介したドキュメンタリー映画『小学校 それは小さな社会』、何通か「感動した」とご感想を頂戴しましたが、第97回アカデミー賞短編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされたものの、残念ながら受賞は出来なかったとのことです。

史上初の日本人監督による日本題材の作品として、世界的に注目されていただけに大変残念でした。

 さて、今年1月にはあの忌まわしい阪神淡路大震災から丸30年、そして来週11日には東日本大震災からもう丸14年になります。
「天災は忘れた頃にやって来る」と言いますが、決して忘れてはいけませんね。
後世に伝えていかなくてはならないことだと思います。
 ということで今朝は、東日本大震災の直後、現地に取材に入ったアメリカ大手メディアABCニュースの※アンカー、ダイアン・ソイヤーのお話をご紹介させて頂きます。

※ニュースアンカー=ニュースを深く掘り下げて解説するという意味から、番号の大黒柱のこと。

『緊急事態だ!早く日本を移せ!』

 2011年3月11日、日本の三陸沖で発生した日本観測史上最大の地震、巨大な津波が発生し、東北地方を中心に甚大な被害に見舞われました。
 壊滅した東北の被災地に取材に訪れたABCニュースのダイアン・ソイヤーが見たのは、被災地の人々の思ってもいなかった行動でした。
ジャーナリストやニュースアンカーとして、今まで世界各地の大災害や紛争地を取材してきたダイアン、過去の取材経験から被災地の状況や治安に不安を抱いていました。

 これまでにも、被災地の取材中に暴動に巻き込まれ、非常に危険な状況に陥ってしまったこともあり、治安を警戒ぜすにはいられなかったのです。
 しかし、そこで彼女が見たのは、冷静で秩序を守り、家族や共同体の皆で互いに支え合い、災害に立ち向かう日本人の姿だったのです。

 今回、ダイアンは東北の被災地を自ら取材し、アメリカのスタジオで特別報道番組を行う企画を立てました。

『Japan’s tsunami(日本の津波)と題されたその番組は、東日本大震災についての特別報道番組で、彼女の取材内容をスタジオで識者たちが解説し、考察を加えるというものです。
3月11日の震災発生直後から刻々と送られる現地から悲惨な映像と声に、ダイアンは激しくショックを受けました。
 今までに何度も日本に取材に訪れ、プライベートでの旅行も楽しんできた日本は、ダイアンにとってお気に入りの国のひとつだったのです。

「あの日本がこんなにも破壊されてしまうなんて」
と、彼女の心は言いようのない驚きと悲しさに包まれていました。

「この災害は日本だけの問題ではないわ。私が行って、この被害の情報を世界に知らせなければ」
東北の被害の甚大さと深刻さを知り、アンカーとして決意を固めるダイアンは、撮影スタッフとともに日本行きの飛行機に乗り込みました。

 しかし、日本への長い旅程の中で、ダイアンの心の中に不安が頭をもたげます。
それは、今まで数多くの被災地や紛争地の取材体験からのです。

「被災地では、暴動や物資の奪い合いが起きている」

 2005年8月末、ニューオリンズがハリケーン カトリーナに襲われたときの取材の記憶が、ダイアンの脳裏にまざまざと蘇ったのです。
街の8割が浸水し、1800人以上の犠牲者が出るという、アメリカ史上最悪の自然災害でした。

 政府の救助活動の初動の遅れから、多くの住民たちが支援もなく放置され、怒りが爆発、
「我々は見捨てられた」
「大統領は、我々のことなんか何とも思っていないんだ」

 商店やガソリンスタンドなどが次々と襲われ、ジャズの発祥地ニューオリンズは無法地帯と化したのです。

 支援物資を配布するスタッフが銃で襲われ、物資を奪われると言う事件も発生、警護に当たっていた警察官や州兵たちまでもが逃亡するという混乱状態に陥りました。
 しかもこれは、ニューオーリンズが特殊な場所だからというわけではありません。

 後に、2018年9月18日、インドネシアのスラウェシ島で、マグニチュード7.5の地震が発生した時のこと。

 11メートルを超える巨大な津波が襲来し、スラウェシ島では5000人を超える犠牲者、行方不明者が出たのです。
生き残った住民たちは、食料や日用品、燃料などを得るために略奪行為に走りました。

「食べ物も着替えもないのに、政府は何もしてくれないじゃないか!」
「子供のミルクや薬もないんだから、やるしかないんだよ!」

 警官たちは、店を襲う大勢の住民たちを為す術もなく見つめるだけでした。
このように世界のどこでも、ダイヤンはそのような状況を取材の中で数多く見てきたのです。

「東北も、あんな状況になっているかもしれない」

 そしてその不安はダイアンだけでなく、撮影スタッフの間にも広がっていました。

「私がカトリーナの取材に行った時には、武装した兵士の護衛がないと、とても被災地には入れなかったんです」

「東北では軍の警備もつかないというし、大丈夫でしょうか」

 今回の被害の激しさを実感するほどに皆、不安や恐れを抱かずにはいられませんでした。

彼女が日本に到着したのは、震災発生から2日後の3月13日。
空港に降り立った後、自動車で被災地へ向かったダイアンたち。

 東北への空路、鉄道等の交通網は寸断され、また道路も大きく破損、通行可能な道を探しながら被災地へと向かいます。
 そして、車が被災地に近づくにつれ、激しい被害の様子が彼女たちの前に姿を現しました。
倒壊した住宅、大きくひび割れた道路、傾いたビルなど、彼女たち取材陣は目の当たりにしたのです。荒野となってしまった被災地の中、慎重に車を進めていく取材陣たちは、倒壊した建物の前で焚き火を囲んでいる数人のお年寄りたちを見かけました。

「あの人たちは何をしているのかしら?」

 そう呟いたダイアンは、車を止めるように言いました。
季節は3月、東北地方は小雪も舞う厳しい寒さの中、お年寄りたちが郊外で過ごしていたのです。
おそらく強い余震が続いているため、崩れた建物の中に入ることができず、小さな焚き火を頼りにして戸外で過ごすしかないのでしょう。

 その姿を見たカメラマンが声を掛けました。

「ダイアン、インタビューしよう」

 しかしダイアンの中には、かつて各国の被災地で取材をした時の記憶が影を落としていたのです。

「待って、うっかり近づかないで。たぶん外国人を警戒してると思うし。
インタビューはガイドと合流してからにしましょう」

 慌てて止めるダイアンに、カメラマンは語気を強めました。

「そんなことを気にしている場合じゃないでしょう? 何のためにここまできたんですか? 今は緊急でカメラを回す時ですよ」

 しかし、ダイアンは車を降りられません。

「暴力を振るわれるかもしれない。危険だわ」

 被災地の治安を案じて迷うダイアンをカメラマンを励ましました。

「ダイアン、君にはこの事態を報道する義務があるだろう? あの人たちの声を撮ろう」

 この言葉が、彼女の誇りと自負を呼び起こしました。
彼女はここで何が起こったかを知り、視聴者に知らせるために来たのですから。

 しかし、通訳・撮影スタッフとともにダイアンが車を降りた時でした。

「下がれ、誰か来るぞ!」

 焚き火の周りに集まっていたお年寄りの中から一人が立ち上がり、ゆっくりと彼女に向かって歩いて来ました。
取材陣の中に緊張が走ります。通訳の女性は慌てて車の影に隠れ、男性スタッフたちは警戒して身構えています。ダイアンは身動き出来ず、その場で固まってしまいました。

 そのお年寄りはそんな彼女に、衝撃の一言を言いました。

「どこから来たの?」

 穏やかな話しぶりでした。

「さあ、寒いから、こっちで暖まりなさい」

 その言葉にダイアンは一瞬言葉を失いました。
震災によって住む家を失い、財産や思い出さえも失ったかもしれない彼らに、こんな風に穏やかに声を掛けられるなどと、思ってもいなかったからです。

 誘われるままに、一緒に焚き火に近づいていくと、お年寄りたちは黙って彼らのために、焚き火の周りの場所を開けてくれました。

 そして、ダイアンやスタッフたちが、その椅子に腰掛けた時のこと。

「これ、どうぞ」

 お年寄りの一人が、手にしていた袋から何かをダイアンの前に差し出したのです。
意図がわからず、一瞬驚愕してそれを見つめるダイアン。
そのお年寄りは、彼女が疑いと驚きの念を抱いていることを見て取ると、それを通訳の女性に見せ、他のスタッフたちにも差し出したのです。

「これは食べ物です」

と通訳の女性が声を上げました。

 それは日本のお菓子、おせんべいでした。
自分たちが被災者から食べ物を分けてもらうことなど考えてもいなかったダイアン。

「食べ物なんて、あなたたちこそ不足しているはずなのに受け取れないわ」

 慌てて断ろうとしますが、お年寄りは熱心にダイアンたちにおせんべいを勧めます。
根負けして受け取ると、そのお年寄りは黙って微笑みを浮かべました。

「こんな遠くまで、よく来てくれたね」

 その真摯な眼差しを見た瞬間、ダイアンは彼女の思いを理解したのです。
この人は自分たちを、もてなしてくれているのだと。
ダイアンは彼らから暴行を受けるのではないかと、思わず警戒してしまったことを恥じました。さらに、別のお年寄りが非常用食料のパックを持ってきて、取材陣に渡そうとしたのです。

「こんな状況で、貴重な食べ物をこれ以上もらうなんてできませんよ」

 驚いて声を上げるダイアンに、寡黙なお年寄りたちは首を振りました。

「俺たちの分はちゃんとあるから、心配いらないよ」
「それよりも、あんたたちはこれからもっと奥の方へ行くんだから、食べ物なんかは十分に用意していくんだよ」

 地震の過酷な被害の中、悲しみと絶望のどん底に打ちひしがれていると思い込んでいたこの被災者たち、ダイアンたちは、被災者の悲しみや怒りの声を聞けるだろうと無意識なうちに考えていました。
 しかし実際には、彼らは見も知らない外国人たちを精一杯もてなし、貴重な食料も渡して、被災地に向かう取材陣たちを気遣ったのです。

「ここからは本当に大変だと思うから、あんたたちも気を付けて行きなさい」

 穏やかな声を掛けられ、ダイアンは思わず目頭が熱くなってしまいました。

「日本人は、どうしてこんなに優しくできるのだろう?」
「この人たちは、こんな目に遭(あ)っても、運命を呪わずにいられるの?」

 大きな災害の中で何もかも失い、救いの手も十分ではないと思われるのに。
秩序と冷静さ、そして思いやりを保つ寡黙な日本の被災者の人々、このような緊急事態の中での彼らの温かい振る舞いに、ダイアンは深い感銘を受け、悲劇の中で希望を見たのです。

 スタジオでこの映像を見ていた出演者や解説者たちは感嘆の声を上げ、視聴者の心も強く揺り動かし、大変大きな反響を呼ぶことになりました。

「こんな大きな災害の中での、この日本人の対応は本当に素晴らしい」

「世界の多くの被災地では、非常に危険な状況に陥いることが多いのですが、日本人たちの行動は本当に見習うべきものです」

「どんな酷い状況の中でも、決して冷静さと思いやりを失わず、しかも見知らぬ外国人に対しても温かい気配りができるなんて、とても同じ惑星の人類とは思えない」

「このお年寄りたちの振る舞いは、テレビカメラの前で取り繕ったものではなく、まさに文化として彼らの中に築き上げられてきたということが素晴らしい」

「この優しさこそが、まさに日本文化の真髄なのかと思うと、本当に感動で胸が熱くなるよ」

【世界が見た日本 チャンネル】より

来週へ続く