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おはようございます。
9月も中旬に入り、数日前から日中の暑さは変わりませんが、朝晩は大変過ごしやすくなりました。
夏布団ですが、被って寝ています。季節は確実に進んでいますね。(笑)
さて、今朝のやさしさ通心も、先々週、先週の続きのお話です。過去、世界中に、支配された国の国民から、今も感謝されている国があるでしょうか?日本しかありません。
③『見捨てなかったのは日本だけ』
必ず生き抜いて、この島を自分たちの手で立て直してみせます。
イナボ氏は遠ざかる浜辺に手を振りながら、強く心に誓いました。パラオの人々が安全な別の島へ移ってからすぐ、ついにアメリカ軍がパラオ諸島の1つであるペリリュー島に上陸。
第二次世界大戦も終盤で、サイパン・グアム・フィリピンと日本の防衛ラインは次々に突破され、日本軍の戦力はもはや限界を迎えていました。
日本の苦境を把握していたアメリカ側は、2~3日もあれば制圧できると考えていました。
しかし、中川隊長は圧倒的な戦力差を覆すため、ある作戦を考えていました。
それは、島全体を使っての持久戦。中川隊長は半年以上の歳月をかけて、島全体に無数の地下壕を張り巡らせていたのです。
そして戦いが始まると、中川隊長の緻密な指揮のもと、日本兵たちは地下壕を駆け巡りました。
突如現れては白兵戦を仕掛けるというゲリラ戦術で、数で勝るアメリカ軍を翻弄し続けたのです。
すぐに終わると高を括っていたアメリカ軍でしたが、その戦いは想定を大きく上回り、なんと73日間にも及ぶ激戦へと突入したのです。
しかし、日本軍は孤立無縁、増援も補給も届きません。
やがて、兵力も弾薬も食料も水さえも全てが尽きようとしていました。
そしてそんな中、中川隊長は兵士たちを集めこう告げました。
「皆、ここまでよくやってくれた。ありがとう。
パラオの美しい島をこんなにしてしまって、島の者たちにはすまないことをしたな。
だが、パラオの若者たちがいつかここへ戻って来て、また以前のように美しい島を取り戻すことだろう。では、最後の戦いに行こうか。」
中川隊長は立ち上がり、残されたわずかな兵士たちを引き連れて、アメリカ軍の拠点である飛行場へ夜襲を仕掛けたのです。
もう武器も弾薬も残っていなかった日本軍は敗退。
こうしてペリリュー島の長い戦いは、幕を閉じたのです。
そして、戦争が終わり島に戻ったイナボ氏たちは、以前とは比べようもないほどに変わり果てた島の惨状に言葉を失いました。
この戦いにより、日本軍は戦死者10,695名、捕虜302名。
しかし、中川隊長の決断と働きにより、パラオの島民たちは全員が無事に避難、民間人の死傷者は1人も出ませんでした。
島のあちこちに残されていたのは、日本兵たちの変わり果てた姿。全身焼け焦げていたり、多くの銃弾を受けていた日本兵の亡骸は、顔も身元もわからない人がほとんどでした。
それでもイナボ氏たちは島の隅々まで歩き回り、一人一人丁寧に日本兵の亡骸を埋葬しました。
自分たちを守ろうとしてくれた日本兵たちへの感謝と敬意を胸に、涙をこらえ静かに手を合わせたのです。その最中、イナボ氏はある亡骸の前で足を止めました。
その兵士は全身に銃弾を受け、既に顔の判別すらできないほど変わり果てた姿でしたが、その手には、まるで宝物のように1枚の写真が握り締められていたのです。
そしてそっとその手から写真を取り出した次の瞬間、イナボ氏の全身に稲妻のような衝撃が走りました。それは、病院の完工を祝って皆で笑い合い、食事をし、お酒を汲み交わしたあの日の記念写真でした。
その写真の中には、笑顔の中川隊長と日本兵たち、そしてイナボ氏たちの姿があったのです。
イナボ氏はその場に泣き崩れました。写真を胸に抱きしめながら大声で泣くイナボ氏の姿に、仲間たちが駆け寄りました。
そして、イナボ氏から写真を見せられた仲間たちも言葉を失い、その場に全員泣き崩れたのです。
こうして、イナボ氏たちは中川隊長の意思を胸に刻み、新たな時代を自らの手で切り開いていくことを心に誓ったのです。
その後、パラオはアメリカの統治領となりました。
そして、まず行われたのは日本語の使用禁止。学校では、アメリカが用意した新たな教科書が使われるようになり、そして、その教科書に載っていた内容にパラオの人々は震撼しました。
日本人がパラオ人を虐待、殺害したと、目を疑うような記述がありました。
しかし、パラオの人々は、そのような反日教育に染まることはありませんでした。
イナボ氏もパラオの人々も、日本人が残してくれた優しさや思いやり、礼儀正しさ等を、それぞれの胸に秘めていたのです。
逆に命をかけて守ってくれた日本人への恩を、決して忘れず、自分たちの手でパラオを治めることを強く誓ったのです。
そして、幾度と困難に見舞われながらも、ついに1994年、パラオは悲願の独立を勝ち取ったのです。これが私と恩人との物語です。
静かに語り終えたイナボ氏の目には薄っすらと涙が滲み、どこか遠くを見つめていました。
そして、その話を聞いていたCNNの記者リプリー氏も、涙を止めることができませんでした。
帰国後、リプリー氏はすぐに番組を制作。
番組の最後にリプリー氏は、自身の見解と共に、視聴者に対して質問を投げかけました。
「靖国神社は、戦争を賛美する場所ではありません。靖国神社は感謝を伝えに行く場所です。
もしも、中国や韓国が言うように、日本が過去の戦争を肯定し、責任を否定しているのなら、なぜ静かに頭を下げる多くの人たちがいるのでしょうか?他国を支配した国の中で、支配された国側から、今も感謝が語り継がれている国が他にあるでしょうか?」
リプリー氏は答えを待つように、しばらく沈黙してから、「もしかすると、日本の政治家たちが靖国神社に足を運べないのは、外交的な批判を恐れてではなく、 争いの火種を再び生まぬよう、静かに鎮魂を選んでいるのかもしれません。戦争で亡くなった人々を忘れないために、そして、再び戦争を繰り返さないという覚悟なのかもしれません」
番組終了後、アメリカ全土で話題となり、SNSを通じてまたたく間に世界中へと拡散。
コメントには、日本への称賛の声が多く寄せられました。
・歴史に感謝される加害者がいるなんて思わなかった。
・日本兵が命がけでパラオ人を守ったなんて、ただただ驚きだ。
・行動と覚悟で示す日本人の姿に感動した。
・靖国神社って、戦争を賛美する場所だと思っていた自分が恥ずかしい。
・静かに手を合わせる日本人の姿に、本当の意味での追悼を見た。
・日本を一方的に批判してたけど、イナボさんの話を聞いて反省した。
・歴史は、誰の視点で語るかで全然違う。
・素晴らしい日本の姿がここにあった。
【世界が驚くJAPAN】より
▢また以下は、イナボ氏が戦後あるアメリカ人と話したときのお話です。
そのアメリカ人は、「日本は小さな国だけども、ルーツ、根っこがあるから強い。それは、天皇陛下と富士山と桜だ」
と話していたので、 私は、もう一つ大事なものを忘れています。
それは「靖国神社です」と答えました。