NO:806
おはようございます。
さあ、8月に入りましたね。まだまだ日中の暑さは警戒レベルです。くれぐれも水分補給など体調管理には充分に気を付けてお過ごし下さい。
さて、毎年8月は先の大戦でのお話しをご紹介させて頂いておりますが、特に今年は戦後80年、もう自虐史観教育は終わりにしなければなりません。
まず、先の大戦の名は「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」だということをしっかりと私たちが認識するだけでなく、子供たちにも伝えていきましょう。
日本は、私たちの親や祖父母たちは、侵略戦争を起こしたのではありません。
欧米列強諸国のアジア植民地支配を終わらせようと、アジアの解放のためにと起こした戦争だったのです。事実戦後、アジアだけでなく、世界の国々が植民地支配から次々と解放されました。
そして、その大東亜戦争で命を落とした私たちの親や祖父母たちは、後世の私たちの幸せを願って、自ら命を投げ出して下さったのです。
今朝は、特攻隊のお話しを3話ご紹介させて頂きます。
時間のある時にでもゆっくりお読み下さいね。
『最期の質問』
21歳の特攻隊兵士が、残された後輩兵士たちに語った深すぎる最期の質問。
「なあ、お前たち知ってるか?
牛や馬は『一頭』
鳥は『一羽』
魚は『一尾』 と、こう数える。
なぜか?
実は動物の数え方はな、
死んだ後に何が残るか?
で、決まるんだ。
じゃあ、ここで一つ聞きたい。
俺たち人間はどうだ?
『一名』
そう『名前』だ。
俺たち人間は、死んでも名前は残るんだ。
お前たちは、自分の大事な大事な『名』に恥じない『生き方』が出来ているだろうか?
一回切りの人生、後悔せぬよう、
意識すべき事は、
『能力』ではなく『生き方』
『知識』ではなく『行動』
読むべきものは、
『空気』でも『本』でもない。
『自分の心』だ。
明日、人生が終わると思って生きなさい。
永遠に生きると思って、学びなさい。
それじゃあ、元気に※征(い)きます。
※ 征く=戦線にいく。出征する。
『今も耳に残る特攻隊のモールス信号』
セタセタセタツー
「我、戦艦ニ突入ス」
クタクタクタツー
「我、駆逐艦ニ突入ス」
ホタホタホタツー
「我、空母に突入ス」
このモールス信号を実際に聞いていた、とある女性と特攻隊員のお話です。
戦争が激しさを増していく中、空襲から逃れるために、この女性は基地近くの防空壕の中に避難していました。
その時、ある特攻隊員に突然、手のひらくらいの大きさの日の丸を渡されて、
「袖につけてもらえませんか?」と、言われたそうです。
軍服の袖に日の丸をつけるということは、出撃の時が近いことを意味していて、目の前にいる隊員が、近々出撃(特攻)することがわかって、その女性は緊張と涙で、うまく日の丸を縫い付けられませんでした。
隊員は、「そんなに長い時間つけているものでは無いから大丈夫ですよ」って、笑顔で気遣ってくれたそうです。
今から命を投げ出して特攻するのに、自分を気遣ってくれることに感動して、その女性はますます泣きそうになったそうです。
その後、名も知らぬ隊員は特攻しましたが、その女性は、その時のモールス信号の音が、今も耳から離れないそうです。
ホタホタホタツー
「我、空母に突入ス」
『血の水』
水の話です。
今私たちは、蛇口をひねると水が出てくる。
でも、これって当たり前のことじゃないんです。
唯一、日本で地上戦が行われた沖縄戦のことです。
アメリカ軍が攻め込んでくる中、お年寄りも子供も、兵隊たちと一緒に防空壕を転々として、何とか生き延びていました。
爆撃が毎日降り注ぐ中、耐えていたんです。
食べ物もない。水も尽きそう。
でも、防空壕の外は攻撃で溢れている。
そんな時に神様の助けがありました。
日中にアメリカ軍の艦砲射撃が、上を向く時間があったんです。
島民に攻撃が向かって来ない時間。
それが特攻隊が来た時でした。
「神様が来た」って感謝して、手を合わせて井戸に走って行ったんです。
特攻隊が来てアメリカ軍の攻撃が止んだ時、折り重なるようにみんなが求めた水は、血の水でした。
そしてその水を、生きるために感謝して飲んだんです。
これは特攻隊が救った命です。
未来の私たちのために、命をかけてくれた若者たち。
そしてそんな大変な時代を生き延びた先人たちがいたからこそ、今私たちが生きています。
すべては、当たり前ではなく、感謝と奇跡なのです。
【Instagram 立川直樹、もと氏、東亜由美、チャンネルより】