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 おはようございます。
さあ、6月も下旬に入り今日は夏至、一年で一番日の長い一日ですね。
梅雨はどこへ行ってしまったんでしょう?(笑)
そんなお天気で、日中は真夏のような厳しい日差しです。
くれぐれも熱中症にはお気を付け下さいね。

 さて、一つご報告がございます。
2009年の12月にスタートし、今年で丸16年になるこのやさしさ通心ですが、主催している[日本人の心を取り戻す会]を、一般社団法人として登記し、[一般社団法人日本人の心を取り戻す会]とさせて頂きました。

 併せて、私が最も尊敬するフジ住宅(株)の創業者、今井光郎会長様が主催する一般社団法人今井光郎文化道徳歴史教育研究会様から、毎年、ご寄付を頂戴していることもご報告させて頂きます。

 これからも、当初からの目標である「日本人に誇りと自信を、やさしさの輪を日本中に!」をモットーに、日本人として誇りの持てるお話しや、心温まる優しいお話しをご紹介して参りますので、よろしくお願い致します。

 では、今朝もやさしさ通心をどうぞ。お時間のある時にでもお読み頂けましたら、嬉しいです。

『学校ごっこ』

 放送作家の永六輔さんと友人で作曲家の中村八大さん、作家の有吉佐和子さんは一緒に、海外の日本人学校で慰問をして特別授業をするというボランティアをやっていた。

 中村さんと有吉さんは日本人学校の出身。
当人でなければ分からない苦労や寂しさがあり、そんな中で頑張っている子供たちを励まそうという趣旨だった。教師ではない3人は、先生の真似ごとをするということで、そのプロジェクトを「学校ごっこ」と呼んでいた。

「学校ごっこ」は文科省の指導要領とは異なるユニークな授業だった。
例えば国語の授業で「木」偏の漢字を教える。

「木は1本で『木』です。
木が2つ並ぶと『林』、3つ重なると『森』です。

 では『杜』は何と読みますか?」「そう『もり』です。でも同じ『もり』でも『森』と『社』はどう違うのでしょうか?」
「森」はたくさんの木がこんもりと生い茂っているところで、「社」は「鎮守の社」というように、神様が祀られているところ、と説明する。

 次に「楓」の話になる。「これは『かえで』と読みますが、ピアノやヴァイオリン、チェロ、ベースなどの管弦楽器はこの楓の木で作ります。

 どんな木よりも一番いい音が響くからです」そうすると中村さんがピアノを弾く。
別の先生がヴァイオリンを弾く。突然音楽の時間になる。

 子供たちも「これが楓の音の響きなんだ」と感じる。
「柏」という漢字を教えるときは、「なぜ5月5日の端午の節句で、柏餅を供えるのか?」という話になる。柏の木の古い葉っぱは、若い葉っぱが大きくなるまで落ちない。

 つまり、若い葉っぱが大きくなるのを見届けてから散ると言うことで、「君たちが大きくなるまでお父さんとお母さんはしっかり頑張ります」という道徳の授業になる。
あらゆる樹木は「木」偏あるという話をすると子供が質問する。
「竹はどうして「木」偏ではないんですか?」待ってましたとばかりに永さん、「竹は木ではなく、多年生の草なんです。でも、今では木でも草でもなく竹という種類になっちゃいました。

 だから漢字には『木』偏、『草』冠と同じように、『竹』冠という部首があるんです」そして「桐」の話になる。

「桐も本当は多年性の草なんですよ。でも木と同じように桐でタンスを作ったりします。
木と同じ働きをするから、『木』偏に『同じ』って書くんです」こんな話をするから、今まで漢字が苦手だった子供たちの目も輝き始める。幼少期の子供は元気に遊んでいるだけで親には微笑ましく思えるが、小学校に上がると、子供たちの生活空間に「遊び」とは別の「勉強」が参入してくる。

「遊んでばかりいないで勉強しなさい!」と親が口をすっぱくして言ったり、先生が「教室は遊ぶところじゃなく、勉強するところだ」と言ったりするように、「遊び」と「勉強」は相反するものになってしまった。

 永さんは戦時中、学童疎開をしていた。
そんな中で永さんが日々ワクワクしていたのは母親からもらった辞書を引くことだった。
「母」という字を引いたら、「両親のうち男でないほう」と書かれてあって、笑った。

面白いから辞書を引いた。
面白いから漢字を覚えた。
遊びと勉強は対立するのではなかったのだ。遊びの中に学びがあり、学びの中に遊びがある。

だから「学校ごっこ」は子供たちの目を輝かせる。

【日本講演新聞2013年2月4日号社説より】