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 新年 明けましておめでとうございます。
今年は、令和7年、皇紀2685年、そして昭和100年、戦後80年です。

 今年は、団塊の世代の方々が後期高齢者入りし、※2025年問題と呼ばれていますが、私は同時に、日本が※戦後レジームから脱却し、復活へと向かう起点の年にしなければならないと思っています。

※2025年問題=2025年以降、日本に超高齢化社会が訪れることで生じるさまざまな問題のこと。
国民の5人に1人が後期高齢者(75歳以上)の超高齢化社会を迎えることで雇用、医療、福祉といった日本経済や社会の広い領域に深刻な影響を及ぼす諸問題の総称です。

※戦後レジーム=現代の日本では主に、第二次世界大戦での日本の降伏後、GHQによる占領下で出来上がった日本国憲法を始めとする憲法や法令即ち自由民主主義の体制のこと。

 快晴の今朝のお天気が、後押ししてくれているようです。
笑さて、個人的なお話ですが、昨年末の29日に母が他界し、実家のある三重県志摩市で、30日にお通夜、31日大晦日に葬儀と火葬を済ませて大阪に戻って来ました。

 昨年最後のやさしさ通心では、私の父親のお話を紹介させて頂きましたところで大変恐縮ですが、今朝は母のお話をご紹介させて頂きます。

 ところで、昨年末のやさしさ通心の父の死亡年が誤っておりましたので、お詫びして訂正させて頂きます。正しくは、平成26年(2014年)でした。申し訳ありませんでした。

 その母について、姉がセレモホールの方からインタビューを受けて※代非時に書いて下さった文章をご紹介させて頂きます。

※代非時=伊勢地方では香典返しを「代非時(だいひじ)」といい通夜の会場で渡される。 伊勢地方はお茶の産地でもある事からお茶をもらうことが多い。

『在りし日の面影は皆の胸にいつまでも』

 これまで私たちは母から様々なことを学んできました。
口癖のように言っていた「人のふり見て我がふり直せ」もそのひとつ。自分以外は全て人生の師なのだから、良いところは取り入れ、悪いところを見たら自分を省みるように教えてくれたものです。

 それを踏まえると、不平不満を言わずひたむきに働く母の姿は、ならうべき良き手本でした。
中学を出てすぐに結婚し、まだ若いうちから長男の嫁として家庭を支えてきた母。

 きっと私たちが知っている以上の苦労をしてきたはずですが愚痴をこぼさず、家事に農作業にと励んでおりました。さらに真珠の養殖や土木作業のような力仕事にもついていたのですから、母の頑張りには頭が下がるばかりです。

 家への思いが支えになっていたのかもしれません。
実家や我が家のたどってきた歴史を語る時、どこか誇らしげで、私たちも身が引き締まる思いがしました。感謝の気持ちを忘れないことの大切さも、この胸に深く刻まれています。母から学んだことは、人生を歩んでいく上での宝。これからも皆に伝えていきますので、何も心配せず夫婦仲睦まじくゆっくり休んでほしいと願っています。

~子供一同 令和6年12月31日

□ 母は昭和10年11月生まれで、行年90歳で生涯を閉じましたが、中学を卒業してすぐに長男の嫁となり、私が22歳の時の子供で末っ子次男です。

 学歴も無く大変厳しい舅(しゅうと)の元でしたから、大変苦労も多かったと思います。
ところが、そんな母の口から、愚痴や不平不満の言葉を聞いたことが全くないのです。

 また、怒るとか感情的になることさえ、私は見たことがありませんでした。
ただ、祖父(舅)に怒られ、納屋で泣いている姿は何度か見たことがあり、幼い私が足元に寄っていくと、涙を拭いて抱き上げてくれたことは覚えています。

 怒らない、感情的にならないのは祖母も近所の女性たちも同じで、ですから私は大人になるまで、女性は「怒らない、感情的にならない生き物」だと思っていました。本当の話です。