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おはようございます。
今週6日、私用で広島市を訪れましたが当日は広島原爆の日で、やはり人が多かったように思いました。そしてまた今日は長崎原爆の日、米国による原爆投下から80年になるんですね。
改めて、犠牲になられた皆様のご迷惑をお祈り致します。
さて、本日のやさしさ通心では、その原爆の悲惨さを伝え続けている少年、佐々木 駿くんのお話をご紹介させて頂きます。
本文の後には、その佐々木 駿くんを取り上げたニュース番組の動画(約3分)と、アメリカ人YouTuberが広島平和記念資料館と佐々木駿くんを取り上げたYouTube(約19分)を貼り付けていますので、宜しかったらご覧下さい。
米調査期間ピュー・リサーチ・センターは先月28日に、米国が広島と長崎に原爆を投下したことに関する世論調査を実施した。
「正当化できる」35%、「正当化できない」31%、「分からない」33%。
1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍の爆撃機B29が広島に人類史上初めての原子爆弾を投下した。原爆は上空600メートルで炸裂し、猛烈な爆風が周囲の建物を破壊した。
爆心地の地表面の温度は3千度から4千度に達したと言われ、一瞬のうちに多くの人の命を奪いました。広島市ではこの時に約14万人の人が亡くなったと推計しています。
『原爆投下は正当だったのか!?』
そのアメリカ人男性は学校の授業で、広島の歴史を学んでいました。
アメリカ軍の原爆投下により多くの被害者も出たが、長期化していた第二次世界大戦を終えることができた。とも教わっていました。
そして、「日本は本当に被害者なのか?日本も他国に酷いことをしているし、日本人だけが被害者ヅラするのはおかしい!?」とも感じていたので、実際に自分の目で確かめるために、広島に来ていました。
その時、一人の少年が資料を持って、原爆ドームの前で英語で丁寧に外国人に説明しているのを目撃しました。そこでその男性は、その少年の話を少し後ろで聞いていました。
その話の内容は、ひいおばあちゃんが体験したリアルな原爆体験でしたが、ひいおばちゃんは一言もアメリカへの恨み事は言っていなかったということを初めて聞きました。
そしてその少年が「もう誰にも、ひいおばあちゃんのような思いをしてほしくない」と語っていたことを聞き、「君はなぜガイドをしているの?」と質問しました。
するとその少年は、「約3年前に母と車でドームの前を通った時、『どうしてあんなにボロボロの建物なのに、残しておくんだろう?』と疑問を抱いたことがきっかけで、初めて聞いた時は、衝撃を受けたけど、知った以上は伝えなければいけない!と思ったのでガイドをしています」って答えたそうです。
そしてそのアメリカ人男性に、平和のスペルが綴られた手作りの鶴の折り紙を手渡して、「今日の話を忘れず、友達にも伝えてほしい」って呼びかけたのです。
それを聞いたそのアメリカ人男性は、自分がただ原爆の投下が正当かどうか?だけを見極めるために広島に来たことを恥ずかしく感じたと語っています。
【Instagram もと氏 チャンネル】より