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おはようございます。
さあ、10月も折り返し後半に入りました。関西万博も大成功のうちに終わり、今年9月までの訪日客が過去最高を記録したそうです。
しかし、先々週のこの“やさしさ通心”でお伝えしましたように、母国へ戻った外国人たちが日本の魅力にハマり過ぎて、喪失感に打ちのめされているという多数の動画がSNSで拡散していますが、それは何も今に始まったことではありませんでした。(笑)
今朝は、今NHKの朝ドラ「ばけばけ」が放送されていますが、明治初期に日本に訪れ、日本が大好きになり、日本国籍まで取得したラフカディオ・ハーン、小泉八雲のお話です。
『小泉八雲が見た明治時代の日本』
小泉八雲、ラフカディオ・ハーンは、明治時代の日本に滞在し、数々の日本文化に関する作品を残した作家です。
彼は島根県の松江を始めとする各地で教鞭を取る傍ら、日本の風習や伝統、そして人々の生活に深く触れ、その魅力を『怪談』などの著作を通じて世界に広く伝えました。
彼は日本国籍を取得し、日本に永住するほど日本文化に深い愛着を持っていました。
以下は、そんな小泉八雲が日本について記した英語の本、Glimpses of Unfamiliar Japan(知られぬ日本の面影)の一部からご紹介します。
私の旅は、横浜の欧米人居留地を出て、日本の街へ向かう人力車の旅から始まりましたが、その時の驚きと感動は、全てが言葉にはできないほど美しく新鮮でした。
全てがまるで妖精の世界のように感じられます。その何もかも、そして誰もが小さくて、不思議でどこか神秘的です。小さな家々や小さな店先。そして着物を着て微笑んでいる小さな人々が、そう感じさせるのです。
日本のすべてが繊細で美しく素晴らしいものに見えるのです。
店先には、珍しいものや繊細のものがあまりにも多すぎて圧倒されます。
しかし、それらを見るのは危険です。見るたびに何かを買わずにはいられなくなるからです。
自分の衝動が怖くなって逃げ出したくなるのです。品物にはまるで魔法が掛かっているかのように、一度買い始めたら止まらなくなってしまうのです。
実は欲しいものは店の商品だけではなく、店そのものや店主、通りや街、そして日本全体が欲しくなるのです。富士山や美しい自然、街に住む人々、全てが欲しくなるのです。
その時、人々の足がどれほど小さく美しい形をしているかに気づきました。
日焼けした農民の足や、小さな下駄を履いた子供たち、そして白い足袋を吐いた若い女性の足、どれもが整った形をしています。
履物を履いていても裸足であっても、日本人の足は昔ながらの美しい形をしています。
西洋人の足を変形させてしまった有害な靴によって、まだ歪められていないのです。私は人力車を降りて階段を上りました。
広い場所に出るとそこは桜の木立で、言葉では言い表せないほどの美しい光景が広がっていました。
まるで夏の雲のように、枝という枝にびっしりと白い花が咲いています。
その眩しいほどの美しい光景は、まるで雪のような花びらが舞い降りたかのようです。
なぜ日本の木はこんなにも美しいのでしょうか?
私たちの国でも梅や桜が咲いている光景は珍しくありません。
しかし日本では、それがまるで奇跡のように美しく、どれだけ事前に書物で知っていても、実際に目の当たりにすると、その美しい光景に圧倒されて言葉を失ってしまいます。
これらの木は、この神々の国で長い間人々に愛され、大切にされてきた結果、魂を宿し、まるで愛された女性がもっと美しくなろうとするかのように、自らを美しくしているのでしょうか?
どうやら、この場所には、無神経な外国人観光客も来たことがあるようです。
「木を傷つけてはいけません」という英語の注意書きが立てられているのを見ると、悲しくなります。村人に出会うと、人々は不思議そうに外国人である私を見つめます。
彼らは深々と頭を下げ、優しい笑顔で、自然な好奇心を詫びながら、通訳に色々と面白い質問をします。こんなに穏やかで親切な顔つきの人々は、これまでに見たことがありません。
その表情には、彼らの心の優しさがそのまま現れています。今まで私は怒鳴り声を聞いたことも、不親切な行動を見たこともありません。彼らは信じられないほどの親切さと、礼儀正しさで私を迎えてくれます。それは、他のどの国でも体験したことがないものです。
その彼らの素朴な礼儀正しさは作られたものではなく、無意識に自然と出てくるもので、心からのものです。そんな彼らの親切さと、それに対して何もお返しも出来ない自分の無力さから、異常な考えが頭に浮かんできました。
彼らが何か予想外の悪事や、驚くほど意地悪なことをしてくれたらいいのに…、と。
そうすれば、ここを離れるときに彼らとの別れを惜しむ気持ちを持たなくて済むのにとさえ感じてしまうのです。年老いた宿の主人は私を風呂に案内し、私を洗ってくれようとして譲りません。
奥さんの方は食事として、ご飯・卵・野菜、そして甘いものを用意してくれました。
私が2人分ほどの量を食べたにもかかわらず、彼女は私が本当に満足したかどうか心配そうで、もっと提供できないことに対して何度も何度も謝ってくれました。
【なるためJAPAN】YouTubeチャンネルより
▢ 小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 – 1904年9月26日)は、ギリシャ生まれ英国国籍の新聞記者、小説家、日本研究家。
明治期の日本を海外に紹介したことや、「耳なし芳一」「雪女」「ろくろ首」「むじな(のっぺらぼう)」といった日本に古くから伝わる口承の説話を記録・翻訳し、世に広めたことで評価されている。
ハーンは1850年6月27日、レフカダ島でイギリス人の父とギリシャ人の母の元に生まれた。
家庭環境に恵まれず、幼少期に両親が離婚してハーンは捨てられ、大富豪だった大叔母に引き取られる。
厳格なカトリック教の教えを強いられて逆にキリスト教嫌いになり、神話や伝説、民話、民間信仰、アニミズムといったものに興味を引かれるようになった。
16歳の時に遊具が左目に当たり失明。17歳で大叔母が破産して経済的に困窮し、19歳で移民船に乗り渡米。
ホームレス同然だったところを印刷屋のワトキンに拾われ、印刷の知識を身に付ける。
文筆業の才能を持っていたハーンは新聞社に就職してジャーナリストとなり、次第に名声を高めていった。
『古事記』の英訳版を読み1884年の万国博覧会に行ったことから日本に興味を持ち、1890年に来日。
新聞社との契約を破棄して、40歳で松江の英語教師となる。ハーンは住み込み女中だったセツと結婚(アメリカ人女性と短い期間ではあるが最初の結婚をしていたので再婚となる)。
ハーンは41歳、セツは23歳、18歳の年の差婚だった。家族のために1896年に日本国籍を取得し「小泉八雲」に改名。
松江・熊本・神戸・東京に移り住み、英語教師の仕事をしながら精力的に執筆活動を続けた。
1904年、54歳で死去。