NO:818

 おはようございます。
さあ11月も折り返し、お天気も大変良くて穏やかな週末になりそうです。
お出掛けの方も多いと思いますが、お時間のある時にでもお読み下さいね。

 さて、今週のやさしさ通心は先週の続きです。

動けないけど 社長 話せないけど 大学講師 『だから自分をあきらめない!』

動けないけど 社長  話せないけど 大学講師  『だから自分をあきらめない!』
一般社団法人HI FIVE (ハイ ファイブ)
代表理事 畠山織恵

 「お前、よう頑張ってきたな」

という父の言葉は、今でも私にとっての大きな心の支えになっています。

「お前はそのままでいい。自分の信じたまま、やりたいようにやったらいい」

と、父が背中を押してくれている気がします。

 だから私は亮夏(りょうか)に言えたのです「20歳になったら家を出なさい」って。
亮夏は、食事もお風呂も排泄も、何一つ自分ではできません。
15歳になった亮夏は自信のなさからか、やりたいことが何もない様子でした。

 そこで私は「興味があることを見つけたら何でも私に言って。
とにかく面白そうと思ったらやってみよう」と伝えました。
そうすることで少しずつ自信がついて、やりたいことが見つかるかもしれない。そう思ったのです。

 それからハンドサイクルや乗馬にも挑戦しました。
高校に入学した亮夏は、「卒業後は日本一周もいいかな?」と言い始めました。

「じゃあ、テントで野宿するところからね」

ということで、一緒に泊まってくれる人をSNSで募集し、手を挙げてくれたフリーランスの作業療法士の男性と2人で野宿しました。

 でも、テントでの寝泊まりは懲りたらしく、日本一周はやめることにしたそうです。(笑)
その後、パラグライダーにも挑戦しました。

 そして高校3年の春、亮夏は一人旅がしたいと言いました。
初めての一人旅の行き先は、「京都・嵐山」と決まりましたが、自分で動けない、話もできない亮夏がどうしたら一人旅ができるのか考えました。

 まず自由帳と紐を買い、その自由帳を亮夏の首にぶら下げ、自宅の最寄り駅から京都・嵐山までの日帰りルートを書くことにしました。

「せっかく嵐山行くんやったら、観光スポットの『竹林の小経』に行って、ランチ食べたりお土産買ったりしたいやろ。やりたいことを1枚ずつページに書いて、完了したらそのページをお願いした人にちぎってもらおう。そしたら次のやりたいことのページになるよね」

 海外の方もいるかもしれないので英語で書いたり、亮夏が一人旅をする目的や、自由にSNSに上げてもらってもいいという文章も添えました。

とは言え、状況が全くわからないのも不安です。

 ということで、見守り役を大学生の男の子にお願いしました。
でも条件をつけました。

「『このままだと死ぬ』という時だけ手を出してほしいねん。
 それ以外は手も口も出さんといて欲しいし、彼の視界にも入らんといて欲しい」と。

 もしかしたら2~3日帰ってこないかも?と覚悟していましたが、なんとその日の夕方、亮夏は無事に旅を終えて、しかも、かわいい女の子を2人も連れて帰ってきました。(笑)

「おかえり、旅はどうやった?」って聞いたら、亮夏は「良かった」って言ってました。

「何が良かった?」と聞くと、彼は「勇気」「できる」と応えました。

 私は笑顔で、「そうや、あんたはできるな」と応えました。

 高校3年生の夏休み前、先生から進路について聞かれました。

「自分だからこそできる仕事を探したい。でもまだ見つかっていない」

そう答える亮夏に先生は、

「それは立派な考えですね。…でもな、亮夏。
 話もできへんお前に、いったい何ができるっていうんや?」

 亮夏の言葉は聞き取りにくいです。
脳性麻痺の障害特性として、話そうと思うほど全身に力が入ります。誰かに話しかけられても返事に力が入るんです。

私は、「話もできへんお前に何ができる?」

 という先生の言葉がずっと心に引っかかっていて、運転する車を路肩に寄せ、後部座席の亮夏に言いました。

「話ができへんこと、動かれへんことって、あかんことだけなんかな?
 それで誰かに喜んでもらうことはできへんのかな?仕事にはできへんのかな?」

 そう言いながら思い出したことがありました。
障害のある子供たちの施設で私が働いていた時、たくさんの現場のスタッフさんがよくこんな本音を漏らしていたんです。

「うまく話せない子供は質問しても思うように返答できない。
 ほんまにこの支援でえんかな?、本当はもっとして欲しいことがあるんちゃうかな?
 私たちはいつも不安やねん」

 もしかしたら、そんな人たちのお役に立てるんじゃないかなと思いました。

そして亮夏に、
「亮夏の体を通して、支援をする皆さんに学びを届けるっていうのはどう?」と言いました。

亮夏は、「うん、やってみようかな」と言いました。

 すぐに知り合いの二人の医療従事者に電話をしました。
そして、賛同してくださった皆さんを集めて研修をしました。
作業療法士、理学療法士など10名の方が来てくれて、約3時間、亮夏に質問したり、亮夏の体に触れたりしました。

参加者の一人がおっしゃいました。

「亮夏さん、あなたは生きた教科書です。こんな素晴らしい学び、今まで受けたことがない」と。

 この時初めてのお給料として5000円も貰いました。
今でも彼はこのお金を大切に額縁に飾っています。(笑)

 亮夏はこの仕事を「イキプロ(生きる教科書プロジェクト)」と名づけ、現在も現場で支援する皆さんに向けた研修や介護を扱う大学や医療系専門学校で、外部講師の仕事をしています。

 亮夏が高校卒業後、社会にこの活動を広めるために法人を立ち上げ、私と亮夏が代表理事(社長)になりました。

 今では介護や医療の世界を飛び越え、一般企業からも「モチベーションアップ研修」等のご依頼をいただいています。

大学の授業の中で学生から生きる意味について質問された彼はこう答えました。

「生きることは、働くことです」

 また、先日ある小学校で、小学6年生の男の子が手を上げ質問しました。

「亮夏さんは、障害のある自分のことを嫌いじゃないですか?」

「亮夏は何て答えるんだろう?」と、私は注目しました。

 彼は、麻痺の強い言葉をどうにか紡ぎながら、

「自分のこと…、気にいって…ます」

と答えました。

 そして授業の終わりに「最後の一言」を求められ、亮夏はこう言いました。

「自分を…あきらめないで…ください」

 どんな環境でも、あきらめなければ、必ずそこに光はある。
私たちはきっと、自分が思うより100倍すごいんです。

【日本講演新聞(宮崎中央新聞社)】より

畠山織恵(はたけやま おりえ)
1979年大阪生まれ。
2018年 重度脳性麻痺の長男とともに一般社団法人HI FIVE (ハイ ファイブ)設立。
2020年 『ピンヒールで車椅子を押す』(すばる舎)を出版。Amazon 1位獲得(介護部門)

現在は講演家として日本中の女性と子どもたちへ生きる力を届けている。