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おはようございます。
さあ、明日は衆院選の投開票日、私は既に期日前投票を済ませましたが、皆さんはいかがですか?
ぜひ、投票に行きましょうね。
そして今日は何の日か、ご存知でしょうか?実は今日は「北方領土の日」です。
戦後ロシアに不法占拠されたままになっている北方領土。
しかし、もしこの男がいなければ、北方領土どころか、北海道全域がロシアに取られていたであろう?と言われている男です。
また彼は、ユダヤ教の世界で、神の記録として神聖に扱われている至宝「ゴールデンブック」(ユダヤ民族に貢献した人)に、「モーセの十戒」で有名な指導者モーセや、20世紀最高の天才物理学者アインシュタインなどと共に、日本人として名前が刻まれている男です。
あの、ユダヤ難民にビザを発揮し続け、6000人の命を救った杉原千畝もこのゴールデンブックには載っていません。また日本でも、教科書にも載っておらず、学校でも教えられない。
しかし彼は、日本人として「義を見てせざるは勇なきなり」を貫いた男として掲載されているのです。その名は、陸軍少将 樋口季一郎(ひぐち きいちろう)。
今週と来週のやさしさ通心では、この兵庫県淡路島出身の樋口季一郎について、なぜ彼がユダヤ教の至宝ゴールデンブックに載ることになったのか?
また、なぜ彼は、北海道を守った男と呼ばれるのか?を、ご紹介させて頂きます。
『樋口ルート』
1938年3月、当時、ヨーロッパではヒトラー率いるナチスドイツの台頭により、多数のユダヤ人が激しい差別と迫害に遭っていました。
最終的には地下室での毒ガスによる殺害(ホロコースト)に繋がるこの迫害を逃れ、彼らは、当時ビザなしでユダヤ人を無制限に受けていた上海を目指し、ロシア横断を決断したのです。
しかし、彼らは満州国とソ連(ロシア)の国境の駅、オトポール駅で立ち往生してしまったのです。「満州国への入国は認められない!」当時の満州国は、外交の実権を日本が握っていました。
そしてその日本はドイツと同盟関係にあったのです。ユダヤ人を受け入れれば同盟国への裏切りを意味する。また、ソ連とも問題を起こしたくなかった日本は入国を拒否しました。
「樋口さんお願いです。時間がないのです。オトポールの駅前で多数の難民が立ち往生しています。彼らを助けてください」
その日、満州国ハルビン特務機関長・樋口季一郎のもとに、ハルビン(満州国)のユダヤ人社会を取りまとめる指導者、アブラハム・カウフマン博士が詰め寄りました。
気温は氷点下30度、激しい吹雪の日でした。迫害から逃れて2万人もの避難民が、シベリア鉄道に乗ってやって来たものの、ビザが下りずに駅周辺で野宿しているというのです。
寒さに凍え、食糧もつき、命からがら持ち出した大切な書物やアルバム、楽器までも、暖をとるために燃やされました。赤ちゃんからお年寄りまで凍傷に凍え、既に体力の弱い者は亡くなっていました。他にも2万人ものユダヤ民族の命が危険な状態にさらされていたのでした。
樋口は悩んだ。
もし動けば待ってるのは、軍法会議か予備役編入(クビ)。
しかし、樋口は静かに口を開いた。
「カウフマン博士、やりましょう。
日本とドイツは同盟国だ。しかし日本はドイツの属国ではない。
ナチスの残虐な人種差別に加担する義務など、我々大日本帝国軍人にはないはずだ」
樋口は、受話器を荒々しく掴み上げると、満州国、外交付の直通回線をつないだ。
「特務機関長の樋口だ。オトポールの難民たちに、直ちに入国ビザを発給しろ!」
電話の向こうで、外交部の役人が抗弁する声が聞こえる。
「しかし閣下、本国の対応が…、 ドイツ大使館からも警告が来ています」
「うるさい!
人命がかかっているのだ。
形式などどうでもいい。通過を許可しろ!」
「責任は私が取る。特務機関長である。
この樋口が全責任を負うと言ってるんだ!お前たちは私の命令に従えばいい!」
そして、次の電話の相手は満州経済を牛耳る巨大コンツェルン、満州鉄道総裁 松岡洋右、後の外務大臣である。
「松岡さん、頼みがある。オトポールの難民を助けたい。特別列車を出してくれ。
金は後で何とかする」
「樋口君、面白いことを言う。
よろしい。ドイツが何と言うか知らんが人道上の問題だ。満鉄が一肌脱ごう」
それを聞いていたカウフマンは言葉にならず、ただ樋口の手を握り締め、涙を流して感謝した。
〈来週へつづく〉
【インターネットや本等をまとめました】
[北方領土の日]
1855年2月7日、日本とロシアとの間で「日魯通好条約」が調印され択捉島とウルップ島の間に国境が確認されました。
それ以降も、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は、一度も他国の領土となったことがない日本固有の領土です。
しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾し、降伏の意図を明確に表明した後の同年8月28日から遅くとも9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。
今日に至るまでソ連・ロシアによる不法占拠が続いています。
政府は北方領土問題に対する国民の皆様の関心と理解をさらに深め、返還運動のいっそうの推進を図るため、「日魯通好条約」が調印された2月7日を「北方領土の日」に制定しました。
