南京大虐殺はなかった!

いわゆる南京大虐殺はなかった!

 最初にウキペディアより、南京大虐殺(南京事件)とは何か?についてご紹介しますと、南京事件は、1937年(昭和12年)12月から翌年3月にかけて、日本軍が中華民国の首都である南京市で多数の一般市民、捕虜、敗残兵を虐殺し、一般人に対する略奪・放火・強姦等を行った事件。中国では南京大屠殺とも呼ばれている。と、書かれています。

 しかし、以下の当時南京に住んでいた中国人のお婆さんの貴重な証言動画を見ますと、実際に南京で中国人を殺戮していたのは、中国人自身であったと何度も証言しています。

 何度も何度も中国人記者は、「日本人は酷いことしただろう?」と、誘導尋問しますが、「やったのは漢奸(カンカン=中国人の裏切り者)だ」と証言してます。

『本当の日本の歴史 理論近現代史学』

 更に、アパグループ代表 元谷外志雄氏(ペンネーム藤誠志)著『本当の日本の歴史 理論近現代史学』で、以下の8点からそれが虚構であると指摘しています。

一つ、南京大虐殺に関する犠牲者名簿が1つも存在していない点。

ニつ、南京大虐殺の犠牲者が30万人とされる一方で、当時の南京市内の人口は約20万人だったとする記録が残っている点。

三つ、日本軍が南京を占領する前から南京を離れるまで、蒋介石(しょうかいせき)率いる国民党が行った数百回に及ぶ記者会見の中で、南京大虐殺に触れる発言が一度もなかった点。

四つ、戦後作られた南京大虐殺記念館に展示されている写真について、その多くが合成写真や※通州事件など他の全く別の事件の写真あるとする研究結果がある点。

※通州事件=1937年(昭和12年)7月29日に、現・北京市通州区において、中国人保安隊が反乱を起こし、日本人・朝鮮人居留民を襲撃、200人以上を虐殺した事件。

五つ、昭和12(1937)年12月20日の朝日新聞に掲載された「蘇る平和都市南京」と言う特集記事が掲載されている点。

六つ、中国側の第一級公式資料とされる「何応欽上将の軍事報告」に、南京大虐殺に関する記述が一切含まれていない点。

七つ、当時南京に駐在していた日本の新聞社の記者たちが、戦後の東京裁判で「初めて虐殺の話を聞いて驚いた」と証言している点。

八つ、蒋介石の「国民に告ぐる書」においても、南京大虐殺という言葉が一度も登場しない点。
(詳細は、やさしさ通心No.778『南京大虐殺が虚構である8つの証拠』をお読み下さい。)

 また、「南京事件の真実を検証する会」監事で、『日中戦争真逆の真相』「…背後には、中国共産党 毛沢東のしたたかな戦略があった」の著者、茂木弘道氏は、上記の8項目とほぼ同様の公開質問状を平成20年(2008年)5月、中国の胡錦濤主席(当時)が日本へ来た時に、日・中・英の三ヶ国語で書いた「胡錦濤国家主席陛下への公開質問状」という形で中国大使館へ届けられたそうです。

(詳細は、やさしさ通心No.780『なぜ「南京大虐殺」などという虚構が作られ、広められたのか?』をお読み下さい。)

毛沢東 著「毛沢東思想万歳」

 昭和39年、社会党の佐々木更三委員長が、毛沢東主席に、

「中国に多大な損害をもたらして申し訳ない」と挨拶したところ、

「何も申し訳なく思う必要はありませんよ。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。
 中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。
 皆さん、皇軍の力なしには、我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。」

〈毛沢東 著、東京大学中国史研究会、翻訳「毛沢東思想万歳」(下)31書房〉

と、返事をしています。

 最後に、南京大虐殺があったとされる1937年(昭和12年)12月から翌年3月頃に掛けてのニュース映像『戦線後方記録映画「南京」』1938年東宝文化映画部作品をご覧下さい。