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おはようございます。
今朝の大阪は良い?お天気になりました。桜ももうすぐ、楽しみですね。笑
そんな中、辺野古転覆事故という大変悲しい事故のニュースが耳に入ってきましたが、それにしても、あの謝罪会見は何なんでしょう?
「腕組みジジイ」という言葉が、インターネット上でトレンド入りし、大炎上していますが、頭も下げず腕組みをしたままの左翼活動家の爺さん(県庁職員らしい!?)、本当に腹が立ちました。
また、同志社国際高校の校長の会見も見ましたが、何が「平和学習」やと、こちらも呆れて腹が立ちました。口で、「平和」とか「人権」とか叫んでいる人や団体こそ疑わないといけない典型例だと思いました。
古来から日本人は、「してやった」とかという恩着せがましい思いではなく、また「報酬があるから」ではなく、他人のために尽くす民族です。今朝はそんなお話しをご紹介させて頂きます。
『やっとあの日の事を聞く時が来た!』
2015年9月 在日米軍のトップとなったジョン・ドーラン氏が、海上自衛隊の基地を訪ねた際の第一声でした。
1992年1月23日 当時24歳 F16のパイロットだったジョン・ドーラン氏は、三沢からフロリダでの演習に参加するため、アメリカ本土に向かって離陸しました。
何事もなく飛べるはずでした。
しかし、太平洋の空で給油作業中、思いがけない接触事故が起きます。給油機に接触した瞬間、操縦不能に陥り、ドーラン氏は機体から脱出せざるを得ませんでした。
彼を待っていたのは、冬の太平洋という地獄のような状況でした。
凍えるような寒さ、飲み水も食べ物もなく太平洋の真ん中で救命ボートに身を委ねるだけでした。
墜落地点は東京から1000キロ以上も離れた海上です。
米軍の上層部は難しい判断を迫られます。
近隣にいる日本の海上自衛隊に助けを求めることを選んだのです。
連絡を受けたのは海上自衛隊の第71航空隊。
彼らの持つUS-A1救難飛行艇は、地球上で他に類を見ない、海への着水ができる特別な飛行機でした。ただし、1000キロもの彼方で人命救助を行うのは、誰もやったことのない至難の業。
しかも往復の燃料を考えると、現場海域で捜索出来る時間は30分が限度です。
果てしない太平洋でたった1人を探し当てることがどれほど大変か、言葉では表せません。
漂流開始から5時間、ドーラン氏の命は風前の灯火でした。
冬の海で熱は容赦なく奪われ、指先も足先も麻痺していきます。
頭も次第にぼんやりしてきました。「もうだめか?」と思い始めたその瞬間。
わずかな音が耳に届きました。
エンジン音です。水平線から一直線にこちらへ向かう機影。
「右15度 要救助者発見。まだ息あるぞ!」
波間にUS-A1がそっと降下してきました。
3メートルという高波の中、長年の訓練に裏打ちされた見事な着水です。
素早い救出作業で、ドーラン氏は何とか機体に引き上げられました。
機内で暑い飲み物を渡されたドーラン氏は、かすれた声で「ありがとう」と伝えます。
そして何度も名前を聞きますが、隊員たちは静かに否定します。
私たちは集団で動いております。
一人ひとりの名前はお伝えできませんが、海上自衛隊 第71航空隊 US-1A部隊。
それが私たちの呼び名です。
その返答には、何の飾り気もない紳士な姿勢が滲んでいました。
そして、2015年9月29日在日米軍の最高責任者となったジョン・ドーラン中将が、海上自衛隊の岩国基地にやってきました。
ついにあの命の恩人たちと対面する時が来たのです。
「会える日を20年以上待ち続けました。やっと、あの日の答え合わせができます」
互いに歳月を刻んだ顔で涙を浮かべ、がっしりと抱擁し、8000日を経て、初めてお互いの名を名乗り合いました。
この出会いが示すのは、国籍を超えた魂のつながりです。
消して忘れなかった恩。助けられた若者が守り抜いた義理。
そして、自衛隊員たちの広い海からたった1人を見つけ出すという極めて厳しい使命感です。
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