NO:776

 おはようございます。
早いもので、この前お正月だったと思ったら、もう一月も月末になりますね。
最近は少し暖かな日が続いていますが、もうすぐ春なのかなあと思うと心も前向きになりますね。笑
一日一日を大切に、このやさしさ通心も、お時間のある時にでもお読み下さいますと有り難いです。

 さて、今朝は先週の続きですが、皆さんは、「日本人が奴隷として世界中に売られていた」という事実はご存知でしたでしょうか?
 私は5~6年くらい前まで知らなくて、「戦国時代、九州でキリスト教に改宗しなかった農民を中心に、約5万人もの人々が手や足を鎖で繋がれて、船に乗せられていった」という話しを本で読み、大変驚きショックを受けたことがありました。
これは、※天正遣欧少年使節のヨーロッパ旅行記にも、「このたびの旅行の先々で、売られて奴隷の生涯に落ちた日本人を親しく見たときには、道義を一切忘れて、血と言語とを同じうする同国人を、さながら家畜か駄獣かのように、こんな安い値で手放すわが民族への義憤の激しい怒りに燃え立たざるを得なかった・・・」と書かれています。

※ 天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)は、1582年(天正10年)にキリシタン大名である大友義鎮(宗麟)・大村純忠・有馬晴信らの名代としてローマへ派遣された4名の少年(13歳?14歳)を中心とした使節団である。では、先週の続きです。

『キリシタンの追放と日本の鎖国』

 ペリーが来航したことをきっかけに、200年以上続いた江戸幕府の鎖国体制は終わりを告げることになります。しかし、そもそもなぜ日本は自ら外国との交流を制限し、鎖国したのでしょうか?
それには欧米の植民地政策が関係していました。

 15世紀(1400年代)にヨーロッパで始まった大航海時代。
ヨーロッパの国々は先を争って新しい航路を確立し、発見した新しい大陸や島を自分の領土にするための領土獲得競争を始めました。
 これが植民地政策の始まりです。当初はスペインとポルトガルが他のヨーロッパ諸国に先駆けて世界に進出していました。
スペインはアステカ帝国を滅亡させて、当時世界最大だった銀の産出地を手に入れ、インカ帝国を征服して金の鉱床を手に入れました。

 さらに、南米大陸の52%と北米大陸の26%を手に入れました。
また、スペイン人がヨーロッパから持ち込んだ天然痘やコレラなどの病原菌が、免疫のない現地の人々の命を次々と奪っていきました。
 コロンブスがサンサルバドル島に上陸してから110年後には、南米に4000万から1億人いたと推測される現地の人々は、約1000万人にまで激減しました。

 そんな大航海時代、当時、ヨーロッパの中で突出していたポルトガルとスペインは条約を結び、世界を勝手に2つに分けていました。日本はちょうどその境界線に位置していたため、16世紀半ばになると両国の宣教師が入れ替わり立ち代わり来日することになります。

 1543年、種子島に到着したポルトガル人により鉄砲が伝来しましたが、この時は、まだキリスト教の布教は許されていました。
当時は南蛮貿易と呼ばれて、西洋との交流をむしろ歓迎していたのです。

 ところが、九州平定に赴いた豊臣秀吉は、キリスト教に改宗した大名たちによって、長崎などがイエズス会に寄進され、日本人が奴隷として世界中に売られていることを知ります。

※日本人奴隷=改めて来週以降ご紹介させて頂きます。

 秀吉はそこで、スペインやポルトガルの野望に気が付いたのです。
その野望とは、スペインが南米で行ったように、狙った土地に先に宣教師を送り込み、表向きは布教をさせながら、実際は将来の植民地の情報収集や懐柔工作を行い、そしてキリスト教に改宗した人々を味方につけた後、軍隊を送ってその土地の人々を殲滅し、植民地にするということでした。

 実際スペインはインカ帝国の皇帝に改宗を迫り、これを拒否すると命を奪い、結局インカ帝国を滅亡させています。
 そこで秀吉は、長崎の地を取り返し直轄地とし、「キリシタンバテレン追放令」を出し、さらに「唐入り」、つまり明国(みんこく)、当時の中国大陸の王朝を征服するために、朝鮮半島へ出兵しました。

 もし弱体化している明がスペインやポルトガルに征服されれば、朝鮮半島や日本が植民地化される危険性は明らかでした。
 だから秀吉は両国に先駆けて明を支配下に置こうと考えたと、これが朝鮮出兵の目的だと、近年の研究で分かってきました。その後江戸時代に入ると、当初はスペインとの貿易に積極的だった徳川家康も、次第にキリスト教の布教を警戒するようになり、「禁教令」を発令します。

 そして、三代将軍徳川家光の時代には、キリシタンの反乱である島原の乱が勃発。
これをきっかけに、幕府はポルトガルの貿易商を日本から追放し、本格的に鎖国へと突入したのです。先週、ペリーが見た日本について、次のような記述をご紹介させて頂きました。

 日本特有の宗教は繁栄しているように見えます。
また日本は、キリスト教を除くすべての種類の宗教を寛容に受け入れることで知られています。
キリスト教に対しては、数世紀前にローマ教皇庁の政治的な陰謀の結果、強い反感を抱くようになりました。これは、秀吉から家康、家光へと続くキリシタン・バテレン追放令から、鎖国へと移行する一連の過程に、植民地主義の脅威が深く関わっていたことを裏付けています。

【なるためJAPAN】より

□アジア、アフリカ、中南米の中で唯一!と言っていいくらい、欧米の植民地にならなかった国が我が国日本です。
 そこには様々な理由があると思いますが、やはり根底には、一人一人の国民の「自分や自分の家族だけ良かったらそれでいい」という思いではなく、「公の心」があったからだと思います。

 グローバル化はいいと思いますが、そんな日本人の心まで失われて、「今だけ!金だけ!自分だけ!」という心が広がることがないようにしなければならないと、改めて思いました。