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おはようございます。
先週ご案内させて頂きました通り、今週水曜日(11/5)は『日の丸バッチ剥奪裁判』の控訴審の第一回口頭弁論が行われました。
ところが、口頭弁論どころかいきなり裁判長から、私たち原告側も被告側の“法廷での日の丸バッチ着用を禁じた”清水裁判官も、「尋問の必要なし、弁論終結、次回判決」みたいな流れに持って行こうとされて、本当に驚いてしまいました。
そこで、私たちの弁護士が、「忌避」(きひ=裁判官の交代を要請する)旨の申し立てをして終わりました。
また、その時、私は見ていませんでしたが、裁判官は3人いましたが、裁判長の右側の裁判官が机を叩いたと当方の弁護士があとから聞かされて、忌避をされたことに、彼ら裁判官も相当腹を立ていたということが想像出来ます。
いや~、それにしても日本の司法がこれほど保身に走るとは!?、「同僚の裁判官を証人尋問に呼んだりしたら、自分もいつ逆の立場になるか?」ということでしょう。
今、兵庫県知事選では、官僚や県議会議員、マスコミまでもが一緒になって、斎藤前知事を陥れようとしたことが明らかになって来て、大変な騒ぎになっていますが、最近、多くの方々が、各立場で、既得権益に立ち向かい、主義主張は違っても、正義の思いから声を上げている姿を見て、本当に嬉しく思います。
日本はまだまだこれからです。
さて、今週のやさしさ通心は先週の続きで、『天皇とは?』ということで、ご紹介させて頂きます。
②『天皇とは何か?』
先週ご紹介しました通り、天皇は、現憲法では国民の象徴となっていますが、昔は祭祀王(さいしおう)と呼ばれていました。
そして天皇は、昔も今も、日々 国民の安寧と平和を祈ることが生きる目的、人生の全てです。
つまり、皇室の方々のお役目は、国民の幸せを祈念し、日本国民に勇気とチカラを与えることだけが、そのご存在の意義なのです。天皇にとって国民は、「大御宝」と言います。
※大御宝(おおみたから)=民を大切な宝物として考え、その安寧を祈る思想のこと。
神武天皇即位の詔(みことのり)に示され、歴代天皇の責務とされてきた理念です。
そして、この天皇のお気持ちのことを、「大御心(おおみごころ)」と言います。先週も書きましたが、私利私欲に塗(まみ)れた国民も犯罪者も、同じように安寧と平和を日々お祈り下さる天皇陛下、私は大変ありがたいことだと思います。
私は、この天皇陛下がいらっしゃる日本という国に生を受けたことを、本当に幸せに思います。天皇、皇后両陛下が各地の被災地を訪問され、膝(ひざ)をついて被災者に寄り添うお姿を拝見する度に、目頭が熱くなってしまいます。
フジテレビの「皇室スペシャル2018平成の真実」に、こんなワンシーンがありました。
これは、東日大震災の際に被災者の方とのやりとりです。両陛下は被災者の暮らす避難所を訪れると、一人でも多くの人を慰めたいと、お二人別々に回られます。
大人達はそのお姿に感激し、子供達は笑顔になります。しかし、そんな光景や解説を見聞きする度に、バカバカしいと感じた人がいました。震災の年にこの番組の取材班が出会ったのは、福島県相馬市で半世紀にわたり漁師をしてきた穴戸勝(ししどまさる)さんです。
「両陛下に会うと感動してしまって、もう、あれ、だって、いろいろ言ってたけど、そんな風になるもんなのかなぁ~って・・・」穴戸勝さんは思い出が詰まった自宅も、漁に出る船も津波で奪われ、生きる力さえ失っていたと言います。
両陛下が相馬市にご訪問になったのは、まさにそんな時でした。
穴戸さんが身を寄せる体育館。
多くに被災者に声をかけ、美智子様は穴戸さんの家族の元にも回って来られました。
穴戸さんは娘と孫に話しかける美智子様のお姿を、まるでテレビのワンシーンのように見ていたと言います。「娘と孫の所にコタツがあって、そのコタツのこっち側に(自分が)いたからね。
俺には話しかけてくれないだろうなって・・・。
でも、次の瞬間、帰るのかなって思っていた時に、身を乗り出してね 『漁師さんですか?』 って訊かれた時にはね、思わず 「わっ」 と、込み上げたものがあった」
『船は大丈夫でしたか?』
美智子様がかけられたお言葉に、悴(かじか)んでいた心が溶けていくような、不思議な感情に気づいたそうです。
そして、「よーし、もう一度船に乗って、俺はやる!」と、そういう思いが強くなったね。
同じ人間なんだけど、あの力ってのはどうなっているんだろうな?
という風な思いが出てきました。言葉にすることはできないんだけどね・・・」
美智子様と会って自分は変わったという穴戸さん。
「改めてあの日を振り返ってみると、この人は日本の親であり、われわれの父であり、母であり、そういう人なんだなぁ~~~と思いましたね。
俺たちの部屋から出て行った時には、後を追いかけたいという思いもありました。正直ね。自分は早く親を亡くしたからだけど、あ~、親ってこういうものかなぁ~と思って、自分の母親の面影を追い掛けたってのは、本当だね」
民間から皇室へ嫁ぎ、想像を絶するようないばらの道を歩きながら、それでも国民の為、祈られ続けた美智子様。こんな日々が、国民の心をこうして変えてしまうほどの力が与えたのでしょうか。
北野武さんが美智子様と会って、言いました。
「この人のためなら死んでもいい」
では、これほどまでに国民のことを大切に思う天皇の「大御心」は、どのようにして育まれたのでしょうか?これは、明治天皇の玄孫、竹田恒泰さんが解説しておられます。
天皇家の皇祖神である天照大神(あまてらすおおかみ)が、孫である※瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に託した言葉から読み取れます。
※瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)=天照大神の孫にあたる神で、宮崎の高千穂に降臨した天孫降臨伝承は有名。初代天皇の神武天皇の曽祖父にあたる。
名は「天地が豊かに賑わう神」を意味し、降臨の際、稲作をこの地上にもたらし、産業における農業の神としての性格面が強い。
このため御神徳には、五穀豊穣や商売繁盛の他、国家安寧、殖産振興などが挙げられる。
続きは、大変興味深い内容ですので、来週に詳しくご紹介させて頂きます。