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 おはようございます。
さあ、明日は兵庫県知事選挙ですね。テレビや新聞しか見ない方には分からないと思いますが、これほど兵庫県の闇が深いとは!私も長いこと人生を生きて来ましたが、驚きの連続です。
そして一番驚いたのは、テレビや新聞等のマスコミの報道の仕方です。完全に国民を、自分たちの都合のいいように洗脳しようとしていますね。
 いづれにしても、明日は日本の未来を占う選挙になりそうです。
兵庫県民の方は、テレビや新聞だけでなくネットの情報も確認して、投票に行きましょうね。

 では、今朝のやさしさ通心です。これまで2回のお話でも、日本の天皇が他国の王とは全く違うご存在であることが、お分かりになったのではないでしょうか?

③『天皇とは何か?』

 さて、先週の最後でご紹介しましたように、天皇家の皇祖神である天照大神(あまてらすおおかみ)が、天孫降臨の時に孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に、「あなたは、地上世界に降り、国を知らし(お知りに)なさい」。とおっしゃっています。(日本書記より)

 しかし、なぜ「知る」が国家(日本)を統治につながるのでしょうか?天皇が祭祀王(さいしおう)であり、国民の幸せを祈る存在であるということは先週ご紹介させて頂きましたが、なぜ、天照大神は「祈れ」とは言わずに、「知りなさい」と言ったのか?ということです。

 ここが一番重要なポイントですが、天皇の祈りは「自発」だということです。
「天照大神に言われたから祈っている」とか、「歴代天皇が祈って来たから自分も祈る」とか、そういう義務感とか形式的なことではなく、天皇ご自身が自ら、心の底から国民の幸せと世界の平和を祈っておられるのです。(大御心)そんな、自発的なお気持ちになるためのキーワードが「知る」ということなんだと竹田恒泰さんはおっしゃっておられます。

 例えば私たちが、オリンピックで日本人選手を応援する時に、ただ単に日本人だからと応援するよりも、その選手のこれまでの努力や挫折、それをどのように乗り越えオリンピックの切符を手にしたのか?
 また、家族やライバルのこと等々、詳しくその選手の背景を知れば知るほど、心を込めて応援したくるものです。
それと同じで、天皇陛下は震災等が起こると、こと細かく「亡くなられた方や行方不明の方はどんな人たちか?何人いるのか?」「その避難所には、何人の方がいて、子供や老人は何人いるのか?」「食料や水は足りているのか?」「不足しているものはないのか?」等々、本当にこと細かく侍従に調べるよう指示を出されるそうです。
※侍従(じじゅう)=天皇陛下の身の回りお世話等をする人

 そして、それは全て、心を込めてお祈りするためなのです。
どの国の憲法も、その第一条は国の国体条項、つまり「どんな国か?」を一言で書きますが、大日本帝国憲法(明治憲法)の第一条の草案には、「日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治(シラ)ス所ナリ」と書かれています。
このシラスとは、日本書記の天孫降臨神話からで、「日本は天皇がシラス国である」と言い切っています。※シラス=お知りになる

 ただ、いろいろと審議の結果、このシラスという言葉は、明治時代でもあまり使わない言葉だったため、最終的には、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之(コレ)ヲ統治ス」となりました。
しかし、日本政府が発行した、この大日本帝国憲法の解説書には、「第一条の『統治ス』の意味について、『治(シラ)ス』の意味で用いていると書かれています。

 以下は、北野武(ビートたけし)さんの言葉です。
私は自分が司会を務めた番組で、私たちがニュースなどで目にする公務以外にも、陛下が毎年1月1日の四方拝をはじめ、毎日のように国民のために儀式で祈りを捧げ、多忙な毎日を過ごされていることを知りました。

 皇后陛下におかれましては、「皇室は祈りでありたい」とおっしゃいました。
お言葉の通り、両陛下は私たちのために日々祈り、寄り添ってくださっていました。
 私は、感激するとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。

また、小林正観さんが言いました。
※小林正観=著作家・心学研究家・コンセプター(基本概念提案者)等々

天皇はどんだけ無私であるのか。
毎年元旦の朝。早く起き 四方拝。
東西南北の神様に向って頭を下げる。

「今年 日本に色々な災いが起きるとしたら、まず、私の体を通してからにしてください」
このようにお祈りをするそうです。

 そして、この四方拝の祈りは皇太子にだけ伝える。
災いを一身に浴びた結果 天皇が亡くなると、皇太子が跡を継いで、日本の災いを受ける代理に。
そして同じように、災いを浴びることになる。
代々 日本の災いを一身に受ける、そういう家系が天皇家で、このことを天皇家は代々2千7百年近く受け継いできました。一般的には私たちは、病気とか事故、災難に対しては、「私や家族には起きないよう」(家内安全)にと祈ってきました。

 また、「商売繁盛」や「無病息災」とも。
でも、 天皇の祈りは、そういう個人的なレベルでは全くありません。
人間の魂は、ここまで崇高で美しくなれるものなのでしょうか。
昭和20年9月。アメリカ議会では、東京裁判で天皇を戦犯として裁く決議案が提出されています。

 そして、9月27日。アメリカ大使公邸でマッカーサーと天皇が会見しました。
マッカッサーは、「どうせ、命乞いに来たのだ」と思っていましたが、天皇のお言葉に、魂が震えたと言います。以下は、この時、同行していた通訳がまとめた天皇の発言のメモです。

『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟の披瀝の言葉は、マッカーサー元帥を強く感動させ、
※ 披瀝(ひれき)=心の中の考えを包み隠さず打ち明けること

 ソファーに深く腰を下ろし、パイプを咥え足を組んでいたマッカッサーは立ち上がり、『かつて、戦いに破れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく進むのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。
 これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい』

 日本が、まな板の上に乗せられたあの時に、昭和天皇のこのお言葉は、我々日本人にとってどれほど大きな意味があったか、そんな気持ちになります。
改めて、天皇の心『大御心』に、お礼を申し上げたいと思いました。
人は自分や近い人の幸せを祈る。しかし天皇は違う。
 決して自分のためには祈らない。「国平らかに、民安かれ」 幾千年の歴史を経て、今現在もその万世一系の子孫が、国の安寧、世界平和を祈り続けているのです。

【来週へ続く】