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新年、明けましておめでとうございます。

 まずは、新年早々の能登半島地震で被害を受けられた皆様、心からお見舞い申し上げます。
いまだに強い余震が続いておりますし、今日から次第に強い寒気が南下するとの予報です。
寒さや大雪にも警戒し、くれぐれも安全にお過ごしされることをお祈り申し上げます。

マグロに関連したお話

 さて、今年初めてのやさしさ通心は、昨日の夕刊に「大間マグロ1.1億円」という記事を見つけましたので、マグロに関連したお話をご紹介させて頂きます。
 そしてその前に、昨日の夕刊記事をご紹介させて頂きます。
「東京の豊洲市場で5日、今年最初の取引となる『初競り』が開かれ、238キロの青森県大間産クロマグロが、この日最高値の1億1424万円で競り落とされた。
共同落札したやま幸の山口幸隆社長(61 )は能登半島地震に触れ、『自粛すべきか複雑な思いもあったが、明るいニュースも必要と挑んだ』と話した。
ということで、今朝のやさしさ通心をどうぞ。
お時間のある時にでも、ゆっくりお読みくださいね。笑

『ソマリア沖で大暴れする海賊を、たった一人の日本人が一滴の血も流さずに、完全崩壊させた方法に世界中が驚愕』

ソマリア沖の海域で、長年にわたり国際社会に大きな脅威を与えてきた凶暴な海賊たちが、たった一人の日本人により、一滴の血も流さないという驚くべき形でその歴史に幕を下ろしました。

この出来事は、全世界のニュースメディアに衝撃を与え、多くの人々に驚きをもたらしました。

去10数年間、ソマリア沖の海賊被害は、世界中で深刻な問題となっていました。小型銃やロケットランチャーなどで武装した海賊たちは、商船や貨物船等を襲撃し、年間、約300件もの事件が発生していました。

命を奪うこともあったため、その海域は非常に危険な場所として認識されていました。
もちろん、問題を何とか解決しようとソマリア沖を領海とするジブチ政府は、武力を持って海賊を排除しようと尽力していましたが、
被害は続き、負傷者も多く出るばかりで、どんどんと問題は拡大していくばかりだったのです。
そんな中、ある日、突然訪れた一人の日本人がいました。

その日本人実業家は、キハダマグロの輸入に強い関心を持っていました。
ソマリア沖は、キハダマグロの豊富な漁場として知られており、彼にとってこの地域からの輸入は、ビジネス上重要な意味を持っていたのです。

「まずは対話だ」。海賊たちと話をしてみようと思い立ちました。
ですが、代理人として良い人材が見つからなかったのです。
彼は「よし分かった。俺が行く」と、自らを鼓舞し海賊との対話を決意したのです。

しかし社員たちは、「あまりにも無謀です。命を落としたらどうするんですか?」
「誘拐でもされたら、どうするつもりで?」
と繰り返し、説得を試み、彼の安全を第一に考えました。

「大丈夫だ。話を聞いてみないとわからないだろう」と発言し、日本からソマリアへと渡航したのです。そして、早速、海賊の元へと赴きました。彼は、通訳とともに、小舟に乗り込み、海賊たちの船へと進んでいったのです。

武器も持たず、たった一人で、海賊の船に乗り込んで来た日本人の実業家を見て、海賊たち自身もとんでもなく驚いたといいます。

武器も持たず冷静に、「話を聞かせてくれ」と申し出て、自ら海賊船に乗り込んで来たことで、海賊たちも、本当に丸腰で乗り込んできた男性に動揺しつつ、日本人の実業家を船に入れました。

それまでの海賊たちの経験では、彼らは誰からも常に『悪』とみなされ、武力による対応を受けることがほとんどでした。

そのため、海賊側から事情を語る機会はほとんどなく、話し合いの場も設けられたことはありませんでした。
 海賊たちは、自分たちの立場や、動機、背景など、これまで語られることのなかった事情を、初めて素直に話したそうです。

そして、彼からの話しは意外なものでした。
あの悪評を重ねた海賊たちとは思えないほど、申し訳なさそうに話し始めたそうです。

「自分たちだって、好きで海賊をしている訳でははない。内戦で国を失い、生きるために仕方なく海賊になった」と、切実な背景を語り始めました。
「本当は安定した居場所が欲しい」
「やりがいのある仕事が欲しい」
「海賊が真っ当な仕事じゃないことは分かっている」
「だけど、こうでもしないと生きていけないんだ」
「妻も子供も飢えてしまう」
「家族を守り、養うために海賊をやっているんだ」等々。
という海賊たちの言葉に、その日本人実業家は、深い共感を覚えました。

そして、何時間も膝を突き合わせて話していると、彼らが決して楽をしたくて海賊をしている訳では無いことが見えてきたといいます。
「この人たちなら大丈夫だ。人として大切なことを忘れていない。手段を知らないだけだ」、そう確信したそうです。

 そして彼は、海賊たちの話をひとしきり聞いた後ある提案を行いました。
「事情は分かった。それなら俺の下(もと)で働かないか?」と唐突に発言したのです。
彼の提案は、「このソマリア沖の海で、マグロを獲って、そのお金で大切な家族を養おう」というものでした。
これは海賊たちにとって、全く新しい生き方の提案であり、彼らの未来に新たな可能性をもたらすものでした。

「今まで俺たちの事情を聞こうとする人間なんて、一人もいなかった。事情も聞かず、ただ銃で撃ってくるばかりだったのに」と、涙を流したそうです。
 
しかし、何事も最初からうまくいく事はありません。
この日本人実業家の提案を聞いた他の海賊たちは、当初その真意を疑っていました。

もちろん最初は、この提案に海賊たちはとても驚きました。
「俺たちにそんな真っ当な仕事ができると思っているのか」
「俺たちは武器の触り方しか知らないんだ」
「そんなの無理だ」と言葉を返したそうです。

しかし、日本人の実業家は何の迷いもなく答えました。
「自分で無理って決めつけるんじゃない!」
「家族のためになら頑張れる!」
「君たちなら絶対できる。家族を一緒に幸せにしよう!」
「マグロの獲り方採も教える。きちんと働いてくれたら給料ももちろん支払う!」
「ただし頼みがある」
「私が頼みたい仕事は、少人数じゃ無理なんだ。この海域に、君たちと同じような事情で海賊になった人をかき集めて欲しい」
「海賊全員を俺が雇う」

日本人の実業家がこう言うと、海賊の中でもポロポロと泣いている人もいたといいます。

「うまいこと言って、利用しようとしてるんじゃないのか?」
「言うことを聞いて連れて行かれたら逮捕されたり、もっとひどいことをされるんじゃないか?」と、疑いの目を向けられたのです。

しかし、日本人の実業家は決して諦めることなく、繰り返し何度もソマリア沖を訪れ、疑心暗鬼になっている海賊たちと対話を続けました。

こうして徐々に海賊たちとの信頼関係を築き上げ、彼の努力により、徐々に、海賊たちは、彼の紳士な姿勢を信じるようになりました。

この日本人実業家は、最初に説得した海賊たち以外の海賊たちともたくさん言葉を交わしたといいます。
そして3年の時間をかけて、彼は一滴の血も流さずに、ソマリア沖の海賊を完全に崩壊させることに成功したのです。

もちろん、ただ単に雇用の機会を提供するだけではなく、日本の会社が持つマグロ漁業に必要な技術や船、冷凍倉庫など物資面でのサポートも速やかに行い、彼らに一刻も早く職場を与えることに専念したのです。

また、インド洋マグロ類委員会への加盟を手助けすることにより、彼らの漁業を国際的に合法的なものにすることも成功したのです。

海賊たちは生活も保障され、盗みを働かなくてもお金に困らず。飢えない生活を送ることができるようになったのです。
仕事を与えることで生きがいが生まれ、家族との関係も良好に変わっていったそうです。
日本人実業家はのちに、
「魚だけあげてもダメだよ。釣り方を教え、一緒に釣って喜びを分かち合うことが生きがいになるんだ。方法を知らないだけなんだから、灯台みたいな道標があれば船は迷わない」と話しています。

そして、この日本人実業家とは、「すしざんまい」の社長、木村清さんだったのです。

このソマリア沖の問題を解決した後、木村さんはインタビューで次のように語っています。
「悪いことをしている人には、何かしらの事情があるものです。私はただそれの解決方法を提案しただけのことです。実際に決断したのは彼だからね」
と、あの愛嬌のある顔で笑っていました。
 また、「目の前の損得に左右されず、目の前の人々がどうしたら幸せになれるかを考えることが、何より大事だと思います」とも述べています。
このような木村さんの発言は、ビジネスだけでなく国際問題においても、人々の幸せと地域の安定という意味で世界中を驚かせました。
 そして、木村さんはこの功績により、海賊に手を焼いていたジブチ政府からも表彰と2013年には勲章も授与されています。

この日本人実業家 木村清さんの行動は、世界中のメディアによって大きく取り上げられ、真の平和を実現するためには、対立する相手の立場を理解し、共に解決策を模索することがいかに重要かを世界に示したのです。

【JAPANの真実】チャンネルより